家の前のコーンも黒色が使われていた(筆者撮影)

大阪市南部に位置し、関西屈指の高級住宅街として知られる「帝塚山(てづかやま)」。「東の田園調布、西の帝塚山」とまで称されることもある。静かで落ち着いた街並みと、格式ある邸宅が特徴だ。

成功した商人たちが大正時代にこの地に別邸を構えはじめ、やがて本格的な住宅街へと発展した歴史を持つ。現在では、「聖天山(しょうてんやま)風致地区」として厳格な景観規制が設けられ、街並みの美しさが守られている。

日本各地に高級住宅街はあるが、それぞれ違った顔を持っていることだろう。帝塚山はどんな街なのだろうか。実際に街を歩きながら、その歴史や街の雰囲気を感じてみた。

関西随一の高級住宅街、帝塚山

帝塚山は大阪市の南部に位置する、関西随一の高級住宅街だ。大阪市内にありながら、静かで落ち着いた街並みが広がる。南海電鉄高野線「帝塚山駅」や阪堺電気軌道上町線「帝塚山三丁目駅」が最寄りで、なんばや天王寺へのアクセスも良好だ。

帝塚山は上町台地の南端に位置する高台の街でもある。水害のリスクが低く、これも住宅地としての魅力を高めている。上町台地の南部には、他にも「北畠」や「夕陽丘」といった高級住宅街がある。

行政区としては阿倍野区と住吉区にまたがるが、「帝塚山」というブランドは一体のものとして確立されている。特に、高級住宅街としての帝塚山は、阿倍野区帝塚山、住吉区帝塚山東・帝塚山中・帝塚山西を指す場合が多い。

洗練されたデザインの建物をたびたび見かけた(筆者撮影)

そんな帝塚山だが、実は大阪屈指のディープなエリア・西成区とも隣接している。実際に西成区から帝塚山までを歩いてみると、雑多な街並みから整然とした住宅街へと変わっていく様子が印象的だった。

帝塚山の名は、地域内にある「帝塚山古墳」に由来する。この古墳は5世紀ごろに築かれた前方後円墳で、大阪市内でも数少ない歴史遺産の1つだ。興味深いのは、現在も住宅街の一角にその姿を残していることだ。

華やかで閑静な邸宅街の中に、長い歴史を持つ古墳が共存している点は、帝塚山ならではのユニークな景観といえる。

古墳内へ入るには事前の申請が必要であった(筆者撮影)

時代が進み、1910年(明治43年)に阪堺鉄道などの交通機関が開通すると、帝塚山周辺の開発が本格化した。大阪で成功を収めた商人たちは、この地を「理想の別邸地」として選び始める。

さらに、1913年(大正2年)には大規模な宅地開発が始まり、帝塚山の住宅地としての基盤が築かれた。都市の喧騒から離れつつ、市街地へのアクセスにも優れたこの地は、やがて格式ある住宅街へと姿を変えていった。

また、帝塚山は多くの実業家や文化人が居を構えた地としても知られている。ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝や、農機具メーカー「クボタ」の創業者・久保田権四郎はそのうちの1人だ。

景観を守る「聖天山風致地区」

帝塚山周辺一帯は、「聖天山風致地区」に指定されている。風致地区とは、都市計画法で「都市の風致を維持するための地区」定義された地区だ。

落ち着いた景観を守るため、建築などについて条例で細かくルールが定められている。新築や宅地の造成だけでなく、木竹や土石の採取の際にも市長の許可が必要になる。

聖天山風致地区の範囲は約110ヘクタールに及び、大阪市内にある風致地区の中では2番目の広さだ(ちなみに、大川風致地区が178ヘクタールで最大)。

風致地区では、建物の高さは15メートル以下、建ぺい率は40%以下と制限されている。さらに、建物は道路から1.8メートル以上、隣地境界から1メートル以上離して建てることが義務付けられ、一定の緑地も確保しなければならない。外観デザイン(意匠)も、周囲の景観と著しく不調和でないことが求められる。

条例に違反すると、是正命令や50万円以下の罰金が科される可能性がある。景観保全を優先したまちづくりが徹底されている。

背の低い建物が多い(筆者撮影)

規制により、狭い土地に高層の建物を建てることが難しいため、比較的広い土地を確保した邸宅が多くなる。最新の基準地価によると、帝塚山東一丁目の地価は1平米あたり38万8000円。市内の他のエリアと比べて突出して高いわけではないが、広い土地を取得できるような、経済的に余裕のある層が多く住むエリアとなっているのだろう。

和洋折衷の品ある街並み

筆者は大阪出身で、実家は帝塚山から比較的近いが、これまで帝塚山を訪れたことはなかった。実際どのような雰囲気なのか、歩いてみて初めて実感できた。

まず目に入ったのは、立派な邸宅の数々だ。格式ある日本家屋や、重厚な造りの洋館が点在し、街全体にどこか品がある。停まっている車は高級車が多く、普段見ている市内の街並みとは少し異なる雰囲気を感じた。

とはいえ、帝塚山全体が豪邸ばかりというわけではない。高級住宅が並ぶエリアの合間には、比較的コンパクトな一般住宅も見られた。これは、風致地区が帝塚山全域をカバーしているわけではないことが影響しているのかもしれない。

それから、スーパーやコンビニなどの商業施設はほとんど見かけない。暮らしの面では少し不便そうに思えたが、商業施設が少ないぶん、人の出入りが少なく、落ち着いた雰囲気が保たれている。住民以外が頻繁に訪れるエリアではないため、治安の良さも感じられた。

もうひとつ印象的だったのは、和風建築と洋風建築が違和感なく共存していることだ。帝塚山には、大正~昭和初期に建てられた立派な蔵や洋館が残されており、歴史を感じさせる建物が点在している。

洋風な建物(筆者撮影)

純和風の屋敷と並んで洋風の邸宅が建ち並ぶ様子は、レトロとモダンが融合した独特の景観を生み出していた。

こうして歩いてみると、帝塚山が単なる高級住宅街ではなく、長い年月をかけて形成されてきた街であることがよく分かった。交通の整備が進み、商人たちが別邸を構え、さらに景観規制が設けられたことで、今の格式高い街並みがある。

街は時代とともに変化する。帝塚山もこれからどのように変わり、その品格を守り続けるのか。今後の動向に注目したい。

(山之内渉/楽待新聞編集部)

山之内 渉
国内最大手のアウトドアメディアで編集者を経験。その後、不動産投資会社に勤務し、現在はフリーライターとして多岐にわたる分野で記事を執筆しています。