後藤温泉客舎前の夜景

後藤温泉客舎前の夜景(筆者撮影)

日本で急速に姿を消していった湯治場や温泉街。前回の記事では、湯治文化や湯治場、温泉街がどのように発展し、廃れてきたのか、その歴史をたどった。

一方でいまなお残る湯治場から見えてくるものもある。今回は、青森県は津軽平野、八甲田山のふもとに位置する温湯温泉の街並みと客舎を実際に訪れ、失われるには惜しい「消えゆく温泉街」の現状を綴る。

冬の情緒に浸る夜

まだ暮れかけの夕方だったので、いったん荷物を置いて宿の中と温泉街を歩き回ってみる。

後藤温泉客舎の建物は、宿泊者用で外湯向かいになった棟と、女将さんたち家族の住まいの棟の2つに分かれている。その間は、屋根のない中庭のような斜面で繋がっており、冬場は堀や塹壕のような雪の回廊となっている。

住居棟と宿泊棟の間は雪の回廊のようになっている

住居棟と宿泊棟の間は雪の回廊のようになっている。温湯温泉の街では、通りに面した温泉旅館や元客舎の建物のほか、斜面状の地形にこのような小さな住居や客舎跡が立ち並んでいる(筆者撮影)

本来なら1~2メートルは雪が積もるその中庭を、女将さん一家が通行できるように雪をかき続けるのでこうなっているのだ。同じ雪国出身の者として、雪かきの苦労が脳裏に浮かんだ。

宿泊棟の奥には、自炊用の食器が並んだ棚や台所があった。女将さんによれば、今でも食材を買い込んで連泊する人が毎年必ず何人かいて、もちろん使用可能だが、シンク横の窓に隙間が空いており、朝には吹き込んだ雪が床に積もっていることもあるとのことだった。

温泉街には湯治客や地元の人向けに、食材や日用品を調達できるお店もあり、後藤温泉客舎の隣にある土岐商店などは、これまた現代までそのまま残っているのが貴重な建物で心惹かれた。

後藤温泉客舎正面から見た土岐商店

後藤温泉客舎正面から見た土岐商店。今も温泉街の住民や宿泊者向けに食品や雑貨を販売している。昔は客舎併設だったが、現在は商店のみ営業を続けている。私もお茶や栄養ドリンクなど飲み物をいくつか買い込んだ(筆者撮影)

ちょうどいいので出歩いた足そのままで外湯を浴びに行く。風呂道具を取りに行くのが億劫でないところが、客舎という建物の良さだとしみじみ感じた。

正月期間ともあって、外湯は地元の人のほか、観光客らしい入浴者も多く、ずいぶんと活気があった。

お湯はアルカリ泉質で、「ぬるゆ」の名ではあってもしっかり熱めで湯冷めしにくく、冬場の寒さでかじかんだ手足がよく温まった。ぬるめのお湯が好きな私には熱いくらいに感じるほどだった。

「温湯」なのになぜ熱いのかと訊ねると、「ぬるい」のが由来ではなく津軽弁の「ぬくだまる(よく温まる。とても温かいといった意味)」が由来らしい。

外湯から出て客舎へ戻っても、古い建物特有の壁の薄さ、外との距離の近さもあって、通りを歩いていく入湯客たちの声が部屋の中へ響いてくる。

ときには外湯から風呂桶の置かれる音が聞こえてくるほどだった。冬場の津軽は情緒深い。このひなびた木造の建物の中にあっては侘しさもひとしおだろう……と思っていたが、意外にひと気に満ちていて寂しさはない。

しかし、それでも外湯の門限である午後10時を過ぎれば、温泉街から途端にひと気が消え去った。日付が変わる頃には、すでに周りの建物の電気は消え、街灯と玄関のこけし灯籠、廊下の明かりだけが光っている。

時折雪まじりの強風が吹いて、古いガラス窓がガタガタと揺れる。街灯に雪の舞う影が見えたとき、北国の生活特有の寂寞感が胸に去来した。障子一つ隔てた外は真冬の気温零下の世界だ。カーテンを閉め、部屋の中でひとり、雪のある生活の情緒深さに浸りながら眠りに入った。

深夜の温湯温泉は風の音と街灯だけがとぼとぼと光っている

深夜の温湯温泉は風の音と街灯だけがとぼとぼと光っている。雪まじりの風に、こけし灯籠が揺れる様子は身震いするほどの郷愁に襲われる(筆者撮影)

「冬」という季節、「雪」という存在

外から雪かきの音が聞こえて目が覚めたのは午前6時だった。

すでに外湯は開いており、朝から地元の人々が入っていくのが見えた。7時には女将さんが例の台所で調理した朝食をお膳で運んできてくれた。

本来、客舎は素泊まりのみで自炊というスタイルなのだが、この宿ではあらかじめお願いしておけば、朝食付きの宿泊も可能である。白ご飯に味のり、納豆、卵焼き、塩鮭焼きになめこの味噌汁と、帰省した田舎の祖父母の家で食べるような、ひなびた旅館ではスタンダードな優しいメニューだ。

テレビの天気予報を見ながら朝餉をいただく間も、女将さんと若主人が玄関先で雪を一生懸命にかいている音と姿が目に入る。

その着込んだコート姿に滲む汗を目にして、ふと北海道の南部や津軽地方の方言で、「冬装備を着込んで覚悟して外へ向かうこと」を「がりっとまがなう」と言うことを思い出した。

「まがなう」は「着こむ、着替える、準備する」という意味で、「がりっと」はそれにかかる強調表現である。それほどまでにこの北国の真冬の冷気は容赦がない。

そんな極寒の土地で温泉があり、いつでも入りに来られるというのは、地元の人にとってもとてもありがたいことだろうと思った。

早朝の客舎玄関

早朝の客舎玄関から。雪国では冬になると、雪に光が反射して部屋の中が青色を湛えた光で明るくなる現象が起こる。冬場の日照時間が少ない中で、この柔らかい光に包まれる室内が私は好きで仕方がなかった(筆者撮影)

実際、私もそういう土地で生まれ育って、「温泉」というものは旅行で入りに行くものではなく、日常的に入るものだと長年思っていた。近所に温泉や共同浴場がいくつも存在する環境が、実はたいへんに恵まれたものであると知ったのは、大人になって都会へ出てからであった……。

湯治文化が東北で根強く残るのは、こうした雪国の事情によるのではないかと個人的には思っている。

寒さや体に堪える気候の厳しさもさることながら、冬場になれば雪が積もる環境下でできる仕事や作業はかなり限られてくる。であればいっそ家にいるのをやめて、次の春が来るまでにいったん心身を整えて望もう……という生活のリズムを立てやすかったのではないかと思うのだ。

雪は実に悩ましい存在だ。実際に雪が降る地域で生まれ育ってみると、「なぜ毎日こんな雪かきなんて余計なことをしなければならないのか……」と怒りや悲しみがふつふつと湧いてくる。

しかし、だからといって冬が来たのに雪が降らないのは調子が外れてしっくりこない、というのが雪国の人間の複雑な心境なのである。

早朝の客舎前

早朝の客舎前。息子さんが雪かきに精を出す。雪国では見慣れた光景だ。屋根の雪は下階からの熱で溶けて固まるのを繰り返すため、積もったばかりの雪よりも重くて固い。毎日きちんとかかなければ、通りを歩く人の迷惑になる。雪国の人にとっては、雪と冬をどう生き抜くかは常に頭の中に付きまとう問題だ。このような厳しい気候の中で、古い建物を維持していく苦労がしのばれた(筆者撮影)

雪が降ることで一度環境が変わり、また生活習慣がリセットされることで、雪国の人間の1年は心身ともにリフレッシュされてまた新たな1年へ進む。その中で湯治に時間をなかば強制的に捻出できるこの気候は、いまだに湯治文化が色濃く残る要因として思いあたる節があるのだ。

そして、現代において湯治文化は見直されつつある。「デジタルデトックス」という言葉が現れて久しいが、常に何らかの作業や情報に追われがちな現代人には、強い刺激がない環境と時間の中でしばらく何もせず過ごす「空白の時間」が必要と言われている。そうした場の提供として、湯治ほど適当なものもないのである。

消えゆく温泉街

ところで、昔ながらの湯治場の姿を今に残しているとはいえ、温湯温泉も衰退と無縁なわけではない。

後年、後藤温泉客舎と外湯を挟んで反対側にある飯塚旅館さんに宿泊した際にお伺いした話であるが、飯塚旅館の現在70代後半になる17代目女将さんがこの街へ嫁入りした頃……昭和40年代には、この一帯で客舎は7軒ほどあった。

しかし、そのほとんどは倒産ではなく「跡を継がなくて絶えた」という。いま、昔ながらの客舎としてそのまま続いているのは後藤温泉客舎だけで、その隣の盛萬客舎も街の外へ出て地元には帰って来ず、飯塚旅館前の空き地ももとは客舎であった。

後藤温泉客舎と外湯を挟んだ位置にある飯塚旅館の通り

後藤温泉客舎と外湯を挟んだ位置にある飯塚旅館の通り。大正14年築の建物は、現在内湯を設けた温泉旅館となっている。雪国らしい情緒あふれる風景(筆者撮影)

土岐商店も昔は同じ建物の中で客舎を営んでいたが、今はやめて久しい。最近では、外湯駐車場前にあった三浦屋が廃業したばかりである。

飯塚旅館の女将さん自身も「私の代で潰すのは申し訳がないし、好きでやっていることだから続けられている。私も娘にはあなたの代になったら自由にしていいと伝えてはある」と語られていた。

同じ並びにある山賊館は旅館として、手前にある利兵衛客舎は民宿として命脈を保っている。だが往年の湯治宿としていまだに継続しているのは後藤温泉客舎のみであり、それも長年の積雪と寒風により建物の傷みが激しく、窓に隙間が生まれていたりして、その保守には絶大な労苦が伴っている。

雪国の風景や文化は、雪あってこそのものだと私は思う。しかし、その雪があるからこそ不便さを強いられる。まことに因果な話である……。

温湯温泉のある黒石の浅瀬石川流域は、さらに上流へ向かうと落合温泉、板留温泉などがある。しかし、そのどれもがそれぞれの形で衰退が進んでいる。空き家が増えた温泉街は雪の脅威が増しており、つい先日も温湯温泉の街並みの空き家が雪の重みで倒壊したという報道が聞こえてきた。

豪雪に見舞われる温湯温泉の街並み

豪雪に見舞われる温湯温泉の街並みを、角巻を頭にかぶったお婆さんが行く。東北の人口減少は昨今国内でもはなはだしい。こうした雪国らしい暮らしの風景がいつまでもあるわけではないのだ…(筆者撮影)

湯治の文化が見直され、またコロナ禍で落ち込んだサービス業界も息を吹き返している一方で、温湯温泉で現在営業している湯宿は4軒。この街並みがいつまでもあるとは決して思えない今後が見えているのは、なんとも心苦しい。

気になる方はぜひこのひなびと休息を味わいに、早めに温湯温泉の街並みへ行ってみてほしく思う。

道民の人