
西洋風の商店街「カリヨン広場」。一部の店舗は営業を続けているようだった(筆者撮影)
全国各地のショッピングモールを巡り、そこから見えてくる都市の「いま」をお届けする本企画。今回は、兵庫県・淡路島にやってきました。
瀬戸内海最大の島である淡路島は、南あわじ市・洲本市・淡路市の3つの市から成り立っています。2023年度の観光入込客数(観光地点を訪れた人数)は1333万人と、観光地としても人気です。
今回、淡路市にある「イオン淡路店」は閑古鳥が鳴いている…という噂を聞き、調査に来たのですが、実際はその隣にある商店街「カリヨン広場」のほうが寂しい雰囲気を醸し出していました。
淡路市は「伊弉諾(いざなぎ)神宮」や「淡路ハイウェイオアシス」など、観光資源が豊富な場所ですが、なぜこのような状態になってしまったのでしょうか。現地の状況やこれまでの歴史を踏まえてレポートします。
ショッピングセンターの1フロアがオフィスに
淡路島の真ん中を通る、神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮ICから車で15分ほど。瀬戸内海を臨む好立地に「イオン淡路店」は現れます。立地するのは、志筑新島(しづきにいじま)という埋立地です。

右奥に見えるのがイオン淡路店。左は海(筆者撮影)
イオン淡路店は、津名商業協同組合が所有するショッピングセンター「アル・クリオ」の中に入っています。建物は、イオンの部分と「アル・クリオ」専門店街の2つのエリアに分かれている形です。
オープンは1993年。かつては、マイカルが運営する(その前はニチイの運営)「サティ淡路店」でしたが、2011年にマイカルがイオンに買収され「イオン淡路店」となったのです。

外から見ると「allclio(アル・クリオ)」の看板が目立つ(筆者撮影)
さっそく中に入ってみましょう。
イオンの店内を見ると、他と変わらない通常のスーパーマーケットでした。人の入りは、少し寂しい感じこそありますが、特段「ガラガラ」という感じはしません。
一方、アル・クリオ専門店街は違います。かなりの店舗が白い壁で封鎖されており、目立つのは通路ばかり、という状態です。
かろうじて空間が埋まっているところも、カプセルトイショップやバーゲン品が陳列してあるだけで、積極的にテナントが入居している感じではありません。
店内には、おそらく開業当時のままの看板で「アル・クリオ 48TEMPO」と示されています。当初は48店舗の店が軒を連ねていたのでしょう。今の店舗数を数えると20店舗。しかも、そのうち4区画分がゲームセンターの「GiGO」で、店の種類でいえば開業当初の3分の1ほどになっています。
さらに2021年に3階部分は閉鎖され、淡路島に本社機能の一部を構える企業「パソナ」のオフィスになりました。ショッピングセンターの1フロアがまるまるオフィスに転用されているのを、私は初めて見ました。

上のガラス張りの窓の奥に、オフィスがある(筆者撮影)
もはや店舗を誘致するどころではなく、淡路島での活動を本格化させていたパソナに入ってもらう形になったのでしょう。
隣には西洋風の「シャッター商店街」
訪れて驚いたのはアル・クリオだけではありません。この隣接地にある商業施設も、なかなか衝撃的でした。それが「カリヨン広場」です。

どこか寂しい雰囲気のカリヨン広場(筆者撮影)
カリヨン広場は、アル・クリオと同じ1993年開業の、新島商業振興会が運営する「商店街」です。両者は一体となって作られたといいます。
商店街といっても、昔ながらの自然発生的なものではなく、意図的に「作られた」もの。建物はすべて西洋風になっており、まるでテーマパークに来たかのようです。
そもそもの施設名が日本離れしていますが、通りの名前も「スペイン通り」や「ラテン通り」といった外国風。ただし、どこか1つの国をコンセプトにしているのとはまた違う、無国籍風です。

ぽっかりと空いた土地も(筆者撮影)
このカリヨン広場、ほとんど人がいないどころか、いわば西洋風の「シャッター商店街」なのです。
何軒かの店は営業を続けているほか、地元企業のオフィスが入っている場所もありますが、ほとんどの建物が店としては機能していません。
道の舗装なども剥がれ落ちているなど、インフラ面での老朽化も進んでいます。また、看板も古い情報のままだったりするので、もはや管理・運営さえできていない状態のようです。

タイルが剥がれた道(筆者撮影)
調べてみると、ここを運営する「カリヨン広場協同組合」は2021年に法人登記を閉鎖していました。そのため、こうした共用部の大規模な補修などがなされていないようです。
商店街といえば、1階部分に店があり、その上に店主たちが住んでいる…という形が一般的ですが、カリヨン広場も同様です。建物の2階部分は住居として使用されています。それを表すように、かつて店舗だった場所が物置になっている区画も目立ちます。

かつて店舗だったと思われる場所(筆者撮影)
最低限の管理は、そこに住む人々が自主的に行なっているのでしょうか。いずれにしても、アル・クリオと同様にかなり荒廃してしまっています。
地元の小売業者と大型店のタッグ
ショッピングセンターの「アル・クリオ」と商店街「カリヨン広場」は、どうして隣接しているのでしょうか。そして、なぜそれらは荒廃してしまったのでしょうか。
実は、その2つの問いはつながっています。建設されるまでの歴史を振り返りながら、その原因を考えてみましょう。
もともと、淡路島内は鉄道がなく、商業的には不便な立地でした。1960年代以降に自家用車が一般的になると、車では通りづらい既存の商店街ではなく、大規模な駐車場を備えたショッピングセンターの建設が望まれるようになりました。
そこで手を挙げたのが、この地域を拠点とする有志でした。彼らが、現在の「アル・クリオ」を所有する津名商業協同組合を結成し、ショッピングセンター誘致に向けて動きます。
しかし、計画は難航。他の地元民からの強い反対にあったのです。
実は淡路島は、それ以前にも大規模なショッピングセンターやスーパーマーケットが誕生する際に大きな紛争が起きていました。島という特性もあって独自の小売体系が発達していたため、外部からの店舗の進出に強硬な反対がありました。
例えば、現在は「イオンスタイル洲本」になっている場所は、かつて「マリンシティ」というショッピングセンターだったのですが、この出店には約7年かかりました。途中、出店反対をめぐっての「ハンガーストライキ」まで起こったほどです(以上、廣田誠「昭和戦後期の兵庫県淡路地域における小売商業の展開」より)。

イオンスタイル洲本(筆者撮影)
こうした歴史もあり、淡路島では地元の小売業者と大型店がタッグを組み、足並みを揃えて出店を進める例が目立ちます。「アル・クリオ」と「カリヨン広場」もその1つです。
この出店を報じた当時の新聞を引用してみましょう。
「アル・クリオ」はニチイ(引用者注:サティの運営会社)の出店を受け入れた中小商業者が津名町などの商店街から移転して入居した。
「カリヨン広場」の方は、ニチイの進出に対し「大型店だけでは地域は活性化しない。地元で新しい街並みを作ろう」という意気込みで多くの地元一番店が造り上げた商業施設。
(日経流通新聞1994年3月5日号より)
アル・クリオも地元の中小小売業者たちが専門店を構えましたし、カリヨン広場も淡路島内にあった一番店(特定の地域で他の店舗を圧倒する力を持つ店舗)が集まって新しく作った「商店街」でした。
サティ、アル・クリオ、カリヨン広場という三位一体で地域の商業を盛り上げようという意図がありました。だから、このようにタイプの違う商業施設が1箇所に固まっているのです。
よく、大型店の出店に際して、地元の商店街や中小小売業が駆逐された…との言い方がされますが、地元の反対が極めて強かった淡路島では、中小小売業者と大型店がタッグを組んで出店ということがあったのです。

アル・クリオとカリヨン広場の間にある広場では、イベントが行われることもあったという(筆者撮影)
一見するとなんとも幸せな結合にも思えますが、実はこの「運営主体が複数にわたっている」ことが、現在の荒廃の一因を作ってしまいました。
バラバラの運営主体で足並み揃わず
先ほどの新聞は、次のように続きます。
「商人の足並みがそろわなかった。最悪ですよ」——。ある専門店街の商店主が嘆くように、(アル・クリオとカリヨン広場は)集客策施設デザインで足並みの乱れが目立つ。
一体的な商業施設にもかかわらず、固定客づくりのカギとなる顧客カードが三種類も発行されている。
(日経流通新聞1994年3月5日号より)
3つの施設は、本来ならば一体となって地域の商業を振興しなくてはいけないはず。しかし、運営主体が異なることから足並みが揃わず、顧客のカードがサティ、アル・クリオ、カリヨン広場でバラバラだったのです。
こうなっては、顧客側にとって不便でしかありません。機能面で見ても、それぞれのカードはクレジット機能が中心だったり、ポイントカードが中心だったりとバラバラで、まったく統一感がなかったようです。
本来、イオンモールのようなところは、スーパーマーケット部分を「イオンリテール」が、モールの専門店街部分を「イオンモール」が管轄することが多くなっています。
会社上は別々でも、グループとしては「イオングループ」が運営しているので、集客からカード、あるいは店舗デザインまで一気通貫にできるわけです。だからこそ、近隣に競合店が生まれるなどの「外圧」があっても一体となって対抗しやすい。
しかし、サティ、アル・クリオ、カリヨン広場はそうではありませんでした。さらに悪いことに、同店が出店した1993年からはその「外圧」も強くなっていました。
開業から2年後の1995年には、阪神淡路大震災が発生。埋立地に立地していたこともあり、液状化現象で土地が荒れてしまいます。
1998年には明石海峡大橋が開通、週末の買い物客が神戸や大阪に流れてしまいました。実はもともと、この商業施設は明石海峡大橋開通を見込み、淡路島からの買い物客の流出を防ぐ意図があったのですが、その機能はまったく果たせませんでした。
さらに少し時代が開きますが、2014年には隣接地に「PLANT」という巨大なスーパーセンター(スーパーとホームセンターを合わせたような業態)が誕生します。

スーパーセンターのPLANT(筆者撮影)
私も訪れましたが、明らかにこちらの方が人でにぎわっています。イオンに比べて品数も多いですし、車用品や農作業具などなんでも備っているので、こちらの方が便利なのでしょう。
日本の商業施設の「複雑さ」
以上が、アル・クリオ、そしてカリヨン広場が衰退した背景です。
もちろんここに加えて、全国的に進む少子高齢化のために若年層の流入を増やすことができなかった点もあるのは間違いありません。
しかし、大型店と中小小売業者がタッグを組むという、一見良さそうな取り組みが、最終的にその運営を圧迫したという事実は、地域経済を考える上で認識しておくべきでしょう。
私たちはつい、「大型店の進出で押し退けられた地元の小売店」という図式で語ってしまいます。しかし、日本全国を見渡せば、その対立に対処しようとしていた例もあったわけです。
ただ、その結果が、現在の廃墟状態を生み出しているのだとすれば、事態は複雑です。もちろんイオングループのような大規模事業者だけが商業施設を生み出している状態がいいとは限りませんが、グループとして全てを統括した方が経営のしなやかさが生まれ、強さが生まれるのもまた事実だと思います。
イオン淡路店の周辺は、そのような日本の商業施設をめぐる複雑な状況をも教えてくれるのです。
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