
Kの部屋(2017年当時、筆者撮影)
高齢化が進む日本で大きな社会問題となっている「孤独死」。
2024年の警察庁の調査によると、高齢者の孤独死は推計年間6万8000件にのぼる。今回はそんな孤独死に遭遇した当事者の話だ。
世のダークサイドを中心に多様な取材を行ってきたノンフィクションライター・クーロン黒沢氏が「相続した古いアパートで起きた孤独死の実態」について実体験を語った。
あなたの物件で同様の事故が起きたら? あなた自身が見つけたら? 一体何ができるのか、どうすればいいのか? 行動の指針にしてほしい。
50万円超の家賃を滞納
「Kさあん! ちょっと話があるんですけど。Kさああん!」
わが実家は、亡き祖母が昭和30年代に建てた木造2階建ての一軒家だ。1階は、私と家族が暮らす自宅部分と、4畳半ひと間の賃貸部分に分かれており、2階の6部屋は全て賃貸として貸し出している。
リフォームもせず、気休めの修繕だけで築70年を迎えようとする昭和のあばら家。家賃の安さと立地の良さで部屋は埋まるも、今どき風呂もないアパートに越してくる連中は、はっきり言って曲者ばかり。トラブルは日常茶飯事だ。
今から8年ほど前、この厄介なアパートを祖母から引き継いだ母が要介護となり、長らく海外で好き勝手生きてきたこの私が、問答無用で実家の管理を引き継ぐことになった。
その最初の仕事が、半年以上も家賃を払わないKへの督促だった。
Kの棲み家は1階の奥の部屋だ。玄関を出て建物の裏手に回り、日当たりの悪い苔むした狭い通路をずんずん歩いて、どん詰まりにぽつんと佇む灰色のドアを眺め、ため息をつく。

構造のイメージ
まるで隠れ家のようなKの部屋。壁1枚挟んだ真隣で寝起きするKは、在住15年オーバーの最古参でもある。しかしその姿を見ることは滅多になく、ひょろりとした初老男性、という以外、ほとんど何の印象もない男だった。
「はぁ……(ため息)。Kさん、Kさあああん!」
意を決してドアを叩き、大声で呼びかけるも返事はなかった。
見ると、電気メーターは静止状態。郵便受けからこぼれたチラシが、ドア下でぐちゃぐちゃにふやけている。
これが1、2カ月の滞納なら、そのまま立ち去っていたかもしれない。だが、そんなKの未払いは50万円を超え、この期に及んで不在となれば夜逃げの可能性もありえる。
答えを知る方法はひとつしかない。褒められたやり方ではないが、私はポケットの合鍵を鍵穴に差し込むと、静かにドアを引いた。
ドアに挟まった郵便物が音を立てて落ちてゆく。構わず覗き込むと、中は真っ暗。カーテンの隙間から差し込むわずかな陽の光が、内部の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。
汚部屋とまではいかないものの、ごちゃごちゃとモノが多く埃っぽい。鼻の奥がむずむずする。
畳の真ん中にはくしゃくしゃの万年床。目を細めると、布団で寝転ぶ人影がうっすらと見えてくる。なんだよ。家賃ばっくれて居留守かよ。起きろっ!
──なんて、もう少しで叫ぼうとしたそのとき、ふとあることに気がついた私は足が震え、全身金縛り状態に陥った。
命懸けのピタゴラスイッチ
「亡くなったのは約3カ月前。10月の頭ごろです。普通はご遺体が傷むから、臭いが漏れて気づくんですけど」
警察によると、Kはこの部屋で3カ月前に息を引き取り、布団の上でミイラ化していた。
布団で寝転ぶ黒い影。確かにそれはKであったが、顔は異様なほど黒ずみ、まるで墨汁を塗りたくったような肌の色だった。
死体袋に収まったKの遺体は即刻運び出され、Kの部屋は黄色いテープで封印。警察の管理下に置かれることになった。
第一発見者の私は根掘り葉掘り、痛くもない腹を探られ、その割にKの死因など、肝心なことは何ひとつ教えてもらえない。
常温で数カ月間も放置された遺体が、腐らず、匂わず、ウジも湧かず、干からびていた理由も謎。そして、もうひとつ謎だったのがKの身元だった。
Kが来たのは祖母がまだ生きていた時代。が、当時の書類は家中引っ掻き回しても行方不明。わかるのは名前だけという有り様。
警察は遺留品から肉親の存在を突き止め、どうにか母親と連絡を取ったはいいが、なんと母親は息子の遺体を引き取ることに消極的。結局Kは無縁墓地へ葬られることになった。
「そういうわけで警察の手続きは終わりましたんで、後は大家さんの方で後始末してもらえたら……」
半月後、ようやく警察から入室許可がおりた。家賃はパー。引き取り手のないKの荷物は大家の私が処分することになる。
なんだか貧乏くじを引いた気分。それでも特殊清掃を呼ばずに済んだのは、不幸中の幸いだったかも。
1号室は相変わらず暗かった。Kが料金を払わなかったため、この部屋のライフラインは半年前から全て止まっている。つまりKが亡くなる以前から、路上と大差ない環境にあったのだ。
手探りでカーテンを開け、アマゾンで購入した防護服に着替える。ゴーグルにマスク、ニトリルグローブの完全防備で片付けがスタートした。

防護服で作業スタート(2017年当時、筆者撮影)
テトリス状に積まれたガラクタを動かし、床に散らばる請求書や督促状をゴミ袋にぶち込んでゆく。しばらく動いて腰が痛み、なんとなく作業の手をとめた、そのときだった。
「……………タタッ」
誰もいない背後に響く謎の音。ギョッとして振り返るも異常はない。
まさか、霊魂……? しばらくその場で凍りついていると、かなり経って、天井から落ちる1滴のしずくに気がついた。
スマホのライトを当ててみると、天井板の一部分が取り除かれ、露出した2階の配管からわずかに滲み出た水が、ひどくゆっくりと、それこそ1分間に1滴くらいのペースで滴り落ちている。
驚いたのはこの後だ。水滴の落下点には漏斗のような袋が固定され、さらにシリコンチューブが繋がっていた。漏斗に落ちた水滴はこのチューブを伝い、流しの下のガラスポットに送られる仕組みになっている。

天井の水滴を青い袋で集め、チューブでポットに集めていた(2017年当時、筆者撮影)
ここまで凝った仕組みで水滴を集めるのは、必要があるからに違いない。まさかKは、この水を飲んでいたのだろうか……?
見とれる間もポタッ。寝ても覚めてもポタッ。私なら3日で気が狂うだろう。Kはこの環境下で何週間、何カ月を過ごしたのか。
冴えない印象しか無いKだが、この命懸けのピタゴラスイッチには文字通り戦慄した。
ひとつ不思議だったのは、水道代も払えないKの部屋に、ゼンハイザーの高級ヘッドフォン(3万円相当)をはじめ、ほぼ現行品のミラーレス一眼レフカメラ、数本の交換レンズ、メルカリに出せば2万円で売れるメカニカルキーボードなど、パッと見、金目のものが普通に転がっていたこと。

部屋には高級品も少なくなかった(2017年当時、筆者撮影)
この直後、押入れからとんでもないものを見つけ、すっかり上書きされてしまうのだが、他人の水道管から漏れる水滴をなめてまで一流品を使い続けるこだわり。全くもって理解できない。
押入れの奥の宝物
最後にチェックした押入れからは、壊れた家電やデスクトップPCなどのガラクタと一緒に、何かゴツゴツした感触の、大きめの黒い袋を発掘した。
恐る恐る開いてみると、うそのような本当の話、アダルトグッズばかり、死ぬほど入っていた。それも新品ではなく、見事にくすんでいる。
ウッと息を止め、戸惑いながら袋ごとゴミ置き場へ放り投げた。袋があった場所には染みだらけの茶封筒も落ちていて、中には「印税明細書」と見出しがついた紙の束。発行元にはF書院という社名が記載されている。
私も物書きの端くれ、F書院がどんな会社かは知っていた。官能小説、ありていに言えばエロ小説専門の出版社だ。そこから印税が支払われている。それはつまり、Kが官能小説家である証だった。

押入れから出てきた印税明細書(2017年当時、筆者撮影)
明細のタイトルをスマホで検索したところ、5冊の単行本がヒット。そのうち1つはF書院の新人賞を受賞していて、本の帯には「陵辱小説の彗星!」と大きな文字が刻まれていた。
これが「彗星」の棲み家か──。自分の家でもあるので身も蓋もないが、改めて殺風景な部屋を見渡し、ため息を吐く。
いちいち突っ込むときりがないが、Kの書棚にそれらの作品は見当たらない。なんなら作家であることを裏付ける印税明細書すら、極秘文書よろしく、押入れの1番奥に隠しているのだ。
親や家族に知られたくない。という理由ならまだしも、人との繋がりなど皆無と思われる一人暮らしの初老男性が、なぜここまで頑なに己の背景を隠そうとするのか。
言いしれぬ深い闇に、背筋が冷たくなるのを感じた。
秘密主義者のK
それからしばらくして、私はF書院を訪問した。
Kのことが気になるあまり、公式サイトのフォームからダメ元で顛末を書き送ったところ、かつて担当だったS氏から返事があり、面会が実現したのだ。
F書院のミーティングルームに腰掛けると。同年代のS氏がテーブルに5冊の文庫本を並べた。
「期待の新人だったんですけどね。うちのメインは熟女。美少女路線の先生とは微妙にズレてたんです。そして彼は、特定のシチュエーションへの執着がすごすぎた。とにかくこだわりの強い人でしたよ」

絶版となったKの作品(筆者撮影)
押入れに隠されたアダルトグッズの話をすると、S氏は意味深に頷き、言葉を選びながら話を続けた。
「先生は秘密主義者なんです。世間話にも乗ってこないし、電話しても、こっちが名前を言うまで無言なんです。プライベートの話も一切なし。結局のところそれがエスカレートして、筆を折る羽目になってしまうのですけど……」
5冊もの単行本を出版しながら、Kは突然、F書院との付き合いを絶つ。
「いつだったか、経理の都合で、著者の皆さんからマイナンバーをもらうことになったんです。『印税の受け取りに必要だからマイナンバーください』と先生に伝えたら、急に血相が変わって、それなら全作品の著作権を手放しますって、いきなり言い出して」
懸命に説得を試みたというS氏、しかし結局はK自身の強い要望もあって、Kの5作品は全て絶版となった。
血の滲む思いで書き上げた作品が葬られようと、マイナンバーの秘密を守り抜くことを優先したKの判断。彼は一体、何から逃げようとしていたのか? 真相はKしか知らない。
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