出典:OpenStreetMap

日本全国には、ほかの自治体に囲まれた「飛び地」が数多く存在する。その発祥のきっかけはさまざまだ。歴史的な経緯の中で登場したものもあれば、中にはいつから存在したのかさえ不明なケースもある。

こうした飛び地は、その珍しさから一部の地理マニアなどの間で知られているものも少なくない。

今回は数ある飛び地の中から、東京都と埼玉県、神奈川県の都県境に存在する3つの飛び地に足を運んでみた。

埼玉の中に残された「東京」

1つめは、埼玉県にある東京都の飛び地だ。地理や地図の好きな方には有名な場所であるそうだ。

住所は東京都練馬区西大泉町だが、地図でみると、埼玉県新座市片山町3丁目内の1本の道路沿いの一区画が、ジグソーパズルの1ピースが抜けたように東京都になっている。

電車の最寄り駅は、西武池袋線の保谷駅か大泉学園駅となる。

大泉学園駅は池袋から約15分の都心アクセスが良好な駅ではあるが、比較的家賃もリーズナブル(単身者向けで7万~8万円程)な地域とあって、駅前はベッドタウンとして賑わっている印象を受ける。

目指す飛び地の西大泉町の区画までは約3キロあり、自転車では約15分、徒歩だと約40分といったところだ。

周囲は、住宅だけではなく畑や空き地になっている土地も点々と見られる。飛び地一帯の道路を挟んで向いは、広大な畑になっていた。

埼玉県新座市に囲まれた東京都の飛び地となっている西大泉町のマンホールの蓋は、練馬区のデザインとなっていた(筆者撮影)

飛び地の広さは、およそ縦60メートル、横30メートル。12軒の戸建が建って、最近になって建て替えられたとみられる建物もあった。

マンホールをみると確かに、ソメイヨシノとイチョウが描かれた練馬区のデザインのものが埋まっている。

道路全体をみると、中心線を挟んでそれぞれの片側ずつ2種類のマンホールが埋まっているのが分かる。練馬区と新座市の上下水道管が埋設されているのだろう。

東京都練馬区西大泉町の住宅街。東京消防庁管内では、消火栓のマンホールを区別するために黄色線で囲っている(筆者撮影)

この飛び地ができた経緯について調べてみると、練馬区のホームページに手がかりを見つけた。区民から寄せられた疑問に回答するコーナーに「昭和49年に飛び地の存在が判明しました」とある。

住宅開発をきっかけに判明したが、もともとはこの一帯は田畑で、どうやらそれまでは、飛び地があるという事実すら把握していなかったようだ。

区によると、飛び地ができた経緯については記録が残っていないため、詳細は不明だ。一説によると、かつて大名領地が点在していたため、その一部が残ったとか、明治以降の合併・編入の過程で忘れ去られたのではないか、ともいわれている。

歴史的な経緯はともかく、なぜ飛び地をそのままにしているのかという疑問が浮かぶ。ゴミ収集や上下水道などの行政サービスを提供する上でデメリットはないのだろうか。

過去にさかのぼると、飛び地の存在が判明した当初、いったんは練馬区と新座市との協議で飛び地を新座市に編入することが決定したらしい。しかし、住民が編入撤回を求める陳情を提出したため、その後、住民との調整が進んでいないという。

なぜ、西大泉町の住民たちは新座市への編入に反対したのか―。そこには、東京都から埼玉県に組み入れられることへの抵抗感があったのではないだろうか。

東京と埼玉の大きなちがいの1つとして、地価が挙げられる。

この2つの区画は隣接しているにもかかわらず、地価に差がある。飛び地となっている西大泉町の路線価(令和6年度)は17万円であるのに対し、隣接する新座市の区画の路線価は12万5000円である。

立地面では大差がなくとも、どこの自治体に帰属するかによって行政サービスが異なる可能性もあり、住民生活への影響が大きい。

神奈川になった「町田市」の一部

神奈川県の中にも東京都の飛び地が存在する。神奈川県相模原市と東京都町田市の境界となっている境川の両岸には複数の飛び地が点在する。

両市では、1995年ごろから境川の河川改修工事に合わせて、新たな川筋に沿って境界線を変更した結果、飛び地が生まれた。

2020年12月には、行政境界の一部変更によって両岸に存在する複数の飛び地がそれぞれの側の市に編入され、「神奈川県町田市」と揶揄される東京都の辺境が本当に神奈川県になったなどと話題になった。

相模原市と町田市の市境となっていた境川の河川改修工事に伴って川の両岸に複数の飛び地ができた(出典:相模原市)

しかし、相模原市は2021年以降当面の間、境川河川改修区域の行政境界の変更事業を休止すると発表している。これによって、現在残っている相模原市の中の町田市の飛び地は、当面の間飛び地として残ることになった。

筆者は、その飛び地の1つに足を運んでみた。境川に架かる寿橋の近くに、相模原市に囲まれた町田市の飛び地が存在する。

最寄りの橋本駅南口では、リニア新幹線の開業による神奈川県新駅の設置工事が行われている。市は駅の北口と南口を一体としたまちづくりを計画しており、新しいマンション開発もみられるなど北口も活気づいているように感じられる。

橋本駅から歩いて10分程で目的の飛び地に到着した。蛇行した敷地は、境川の河原に一段階降りた低地になっていた。境川の古い流路の跡地であろうと思われた。

飛び地部分には、町田市の公園管理事務所の看板が立っており、町田市の土地であることが分かる。

東京都町田市の飛び地となっている廃川地に立つ看板(筆者撮影)

このような河川の流路を変えたために残った古い流路の跡地を廃川地(はいせんち)と呼ぶ。

過去には、廃川地を市街地として生まれ変わらせた事例もあるものの、近年は公園や緑地などとして活用することが多いようである。

近年の一級河川付け替え事例としては、草津川(滋賀県)の廃川が著名である。草津川では、旧河道が廃川地となり、2011年に「草津川跡地利用基本構想」を策定、現在も活用が検討されている。それによると、農地や公園、広場、道路などとして利用することになるようだ。

今後、境川周辺の飛び地が解消された後、まちづくりがどのように行われていくのだろうか。リニア新幹線の新駅である橋本駅からも近いだけに有効利用が期待されるところである。

「よみうりランド」の駐車場も飛び地だった

最後に、神奈川の中にある東京の飛び地をもう1つ紹介しておこう。神奈川県川崎市のよみうりランドの一角に、東京都稲城市の飛び地が存在する。ここは、よみうりランドの関連施設の駐車場となっていた。

東京都稲城市の飛び地となっている、「よみうりランド」の駐車場(筆者撮影)

京王線京王よみうりランド駅から徒歩15分程の立地。読売ジャイアンツの二軍球場も目と鼻の先だ。

土地の筆の境界があるわけでもなく正確に確認できてはいないが、駐車場の敷地の形状は、ほぼ飛び地の形状に一致する。地図でみると、勾玉を転がしたようないびつな形になっている。

出典:OpenStreetMap

読売ジャイアンツ二軍球場を含め、よみうりランドのエンターテインメント系施設のほとんどは川崎市に所在している。ただ、株式会社よみうりランドの本社は京王よみうりランドの駅前にあり、稲城市の所在となっている。

同社は、遊園地よりも先にゴルフ場を運営している。ゴルフ場は一部が川崎市にあるものの、事業所を含め大半は稲城市の所在になっている。 そのため、本社は稲城市に置かれたのだろう。

ちなみに、法人事業税の分割基準は、事務所等の数と従業者の数で決定されることとなっている。よみうりランドの売上に係る税額を両方の自治体に分けて納めるために、本社と施設の所在する自治体をわざわざ分けた可能性もあると筆者は考えている。

東京近郊に存在する3つの飛び地を紹介した。いつの間にか生まれた飛び地や、人工的に作られた飛び地など、成り立ちはさまざまであることがわかる。普段は気に留めることのない存在だが、いつもと違った視点で地図を眺めてみると、新しい発見があるかもしれない。

(終夜亭)