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僧侶の亀澤範行氏(44)は、遺体のあった場所に向かって手を合わせ、しばし黙祷したあと、床に置いた香炉で香を炊いた。濃厚な古血の匂いを部屋の隅に押しやるように、香の煙が立ちのぼる。

取材のために足を踏み入れたそこは、「特殊清掃」の現場だ。火事や災害、自殺、孤独死など、変死の状態で人が亡くなった場所の清掃を行うのが「特殊清掃」である。その最前線をレポートする。

ドヤ街の住民たち

特殊清掃の現場で経をあげる亀澤氏(撮影:末並俊司)

袈裟姿の亀澤氏は奈良県にある真言宗翠緑山 禅祥院の住職であり、また関西クリーンサービスの代表でもある。

遺体のあった場所に向かって経を詠んだあとは、作業着に着替え、その上から防護服を着込んで、清掃作業にあたる。

現場は大阪市西成区の一角だ。東京の山谷、神奈川県の寿町とならぶ、三大ドヤ街のひとつである。高度成長期、都市部では道路や鉄道の敷設、ビル建設などで大量の労働者が必要とされた。

仕事を求め、全国から集まった労働者を受け入れる安宿が当時はたくさんあった。そんな宿が集まった街をドヤ街という。大阪市の西成はその中でも最大の規模を誇った。1960年代には3万人もの労働者が暮らしていた。

東京のドヤ街、山谷地区の年越しの風景。日雇い労働者と彼らを支援する団体が、取り締まる警官隊に向かって権利を主張する(撮影:末並俊司)

ドヤ街の宿は、個室であれば3畳ほど。そこに家族で住むケースもあった。これはいいほうで、ひとつの部屋に二段や三段のベッドを並べ、すし詰め状態で生活する労働者も多かった。

彼らは自分らの住む宿(やど)を、ひっくりかえして「ドヤ」と呼んだ。宿とも言えない宿といった程度の意味だったようだ。

肉体労働でひと稼ぎして故郷に帰る者が大半だったが、宵越しの金を使い果たすタイプの労働者は帰ろうにも帰れない。中には故郷や過去と縁を切って乗り込んできた者もおり、彼らはそのまま住みドヤに暮らし続けた。

ドヤ街にはそんなはぐれ者を受け入れる度量の広さがある。

高度成長期が終焉し仕事も減った。ドヤの住民たちを貧困が襲う。長年の過酷な肉体労働が元で心身の健康を害するケースも増えた。障害を持つ者もいる。それでも行き場のない者たちはそこで年を取った。

そうしたかつての労働者を救けるために、ドヤ街には多くの福祉団体が入り込んでいる。ドヤ街は、今では福祉の街としての側面も持っているのだ。それを頼りに集まってくる生活困窮者も増えている。

若年世代の孤独死

取材した西成の一室で亡くなった方もそのひとりだ。41歳の男性で重度の糖尿病を患っており仕事をすることができず、生活保護に頼っていた。

現場を確認するために、警察官がドアを破った跡(撮影:末並俊司)

彼は2025年1月某日、布団の上でうずくまるようにして命を閉じた。発見されたのはそれから2週間ほど経過してからだ。

敷きっぱなしの、うすっぺらくて、ずっしりと黒ずんだ布団には、赤ちゃけたシミが広がっていた。

布団の前には旧型のデスクトップパソコンが乗った小さなテーブル。手垢で真っ黒に汚れたキーボードの隣に灰皿とタバコの吸いカス。発泡酒の空き缶。コーラ、烏龍茶、麦茶のペットボトル、これらも全部空だ。

亀澤氏が布団に残った直径1メートルほどの丸く赤黒いシミを指して説明する。

「ご遺体から分泌した体液ですね」

背後のカーテンにはまだらの結露ジミ、裾の部分にはやはり赤茶色の血の跡があった。「生前、吐血をぬぐったのでしょう」と亀澤氏。

それにしても、亡くなったのは1月の冷え込む時期だ。布団を汚すほどに体液が流れ出るものなのか。

室内の様子。布団や家電、衣服などもそのまま残されていた(撮影:末並俊司)

「亡くなってから発見されるまで2週間、ずっとエアコンがつきっぱなしで、部屋の中は暖かかったはずです。そうすると、夏場と同じくらい腐敗は進みます」

亀澤氏は、部屋の中をぐるりと眺めてもう一度手を合わせた。

貧困と特殊清掃

病気で体が不自由になると、散らかった部屋の掃除が難しくなる。家族や支援者が定期的に片付けて、その人らしい生活を演出するのは大切な仕事だ。

介護保険サービスを利用すれば、身の回りの掃除をヘルパーなどに頼ることはできる。しかし対象者が亡くなった後の清掃については、行政からの援助はほぼない。

例えば生活保護を受けている方の部屋を掃除する場合、その人が引っ越しなどで退去するのであれば補助金が支給されることもあるが、亡くなってからの清掃にはそうした仕組みがない。

 「しかし取材した部屋の住人だった男性のように、生活保護受給者が孤独死するケースは増えている」と亀澤氏は語る。その人に、その後の処理をする家族や知人がいない場合は様々な問題が発生する。

葬儀代、火葬代、部屋の原状回復のためにかかる料金、死後の処理をしている間の未納家賃などなど。これを誰が支払うのか。大家や支援団体が自腹を切ることも少なくない。

そうした問題を回避するために、あらかじめ「孤独死保険」に頼る例が増えている。住んでいる本人や大家が加入し、月々数百円の支払いで、最大100万〜300万円ほどの保険金を受け取ることができる。

僧侶になった理由

亀澤氏は、元から僧侶だったわけではない。修行をして、僧侶の資格を得たのは3年前のことである。

「清掃や、廃品の回収の仕事を、もう20年以上やっていますが、我々のことを下に見てくるお客さんってけっこう多いんですよ。公的扶助の面からも未整備な部分が多い」(亀澤氏)

亀澤氏は苦笑いを浮かべ、語る。

「特殊清掃の際、作業の前に僧侶による読経を望まれるご遺族もいらっしゃいます。以前は弊社とお付き合いのあるお寺さんにお願いして来てもらっていました。ただ、スケジュールのすり合わせが難しい。お寺さんの都合のいい日をご遺族に伝えると、『その日は仕事だ、こっちの都合に合わせるのがお前達の仕事だろ』とキレるご遺族もいらっしゃった。とにかく清掃業者を見下してくる」

──であれば、自分が僧侶になればいいのかもしれない。

そんな思いが亀澤氏に芽生えたのだった。

東京都豊島区北大塚の千光寺にて修行し、晴れて僧侶となった。それからは、特殊清掃の現場では毎回自身で供養のための読経を行うようになった。

「現在、奈良市に真言宗翠緑山禅祥院を建築していまして、今年中には落慶の予定です」(亀澤氏)

特殊清掃の実際

西成の孤独死現場。読経を済ませ、作業着の上から不織布の防護服を着込んだ亀澤氏は、部屋の中を見回した。

「部屋を見ると、ここに住んでいた人がどんな人だったのか、どんな性格だったのかが手に取るようにわかります。この方はかなりのヘビースモーカーだったようですね」(亀澤氏)

20平米ほどのワンルーム。万年床で、壁紙はタバコのヤニで真っ黄色に変色している。ただ、散らかってはいるものの、ゴミ屋敷という様子ではない。

インスタント食品などが置かれたラック。種類ごとに整理されて並んでいる(撮影:末並俊司)

衣服は概ね整理されていた。壁際に掛けられたジャンバーやトレーナーなどを見て「体の大きな人だったようですね」と亀澤氏。

室内に吊るされたまま残された衣服(撮影:末並俊司)

「重度の糖尿病を患っていたと聞いてますが、風呂やトイレは自分で行けていたようです。もっと症状が進むと立ち歩きもできなくなって、失禁してもそのままということもあります。でもこの部屋にはそうした形跡がありません」

言いながら、亀澤氏は空のペットボトルをゴミ袋に集めた。

「トイレに行けなくなるとペットボトルにおしっこを溜めてしまう人もいるんですけど、それは大丈夫そうですね。もしかしたら、わりと神経質な性格だったのかもしれません。衣類もきちんと整理しているし、薬袋などもちゃんと仕分けしています」

敷きっぱなしの布団は、吐血と体液にまみれている。ところどころ黒光りするほど光沢の残った血の跡もある。触れば糸を引きそうなほどに濃厚だ。

「直接触らないでくださいね。亡くなった人がもし感染症などを持っていたら、血液や体液から感染する恐れがあります。だから我々は全身を防護服で覆って作業を進めます」

言いながら亀澤氏は掛け布団を丸めて大きなゴミ袋に押し込んだ。

防護服を着て作業にあたる亀澤氏(撮影:末並俊司)

敷布団に広がった大量の体液は布団の裏にまで染み出していたようだ。凝固した体液が床に貼り付き、端から布団を持ち上げると、バリバリッと音をたてて剥がれた。同時に、濃い墨汁のような臭いが立ちのぼってくる。

慣れない筆者は思わず顔を背けたが、亀澤氏たち関西クリーンサービスのスタッフは表情ひとつ変えることなく作業を進めた。

ゴミや冷蔵庫、家具什器などを運び出したあと、煙草のヤニと血の匂いにまみれた壁紙を剥がす作業が始まった。

壁紙を剥がしている様子(撮影:末並俊司)

「この現場はまだいいほうです。真夏に亡くなって、長く放置された現場だと、壁紙と床を替えたくらいでは臭いがなくなりません。特殊な薬品で燻す作業を行うのですが、それだけで数週間かかることもあります」

清掃現場は故人のメッセージでもある

ゴミを集め袋に詰めて運び出す。淡々と作業は進むのだが、スタッフたちの手が止まることが時々ある。

「これ、故人が生前に付けていた日記ですね」

小さなノートには、病気に対する恐れや支援者への感謝の言葉が並んでいた。ここで亡くなったこの人も、私たちと同じように、様々な思いに揺れながら生活していた。そんな当たり前の事実がノートから浮かび上がってきた。

見つかった日記。故人が生前につけていたもの(撮影:末並俊司)

「今日中に壁と床を剥がして、除菌と脱臭の為に特殊薬剤と超高濃度オゾン発生機を用いた燻蒸作業を数日行ってから、内装業者さんに入ってもらいます。全部終わるのは約2週間後ですね。それでやっと引き渡しです」

特殊清掃の件数は、年々増加の傾向だという。事故、病気、自死。亡くなり方は様々だが、誰にも看取られることなく、命を終えていることは共通している。

亡くなった場所は、人生の終着点であると同時に、現場に遺された様々な痕跡はその人自身を知るためのメッセージでもある。
 
この連載では、特殊清掃の現場をレポートしながら、そこに至るまでの住人の人生や家族の思いなどを探り出していく。

(末並俊司)

◯取材協力
関西クリーンサービス