競売になった兄の物件、県庁所在地中心駅6分。建物前半分が息子名義の件外物件。 後ろが賃貸部分で内部未完成! 落札後取り壊される
今から30年程前に歴史的な不動産バブルが発生しました。5年程で都心の中古1ルームが1200万円から1億円近くまで約8倍に上昇しました。郊外の自宅の土地も坪70万円から200万近くまで上昇したものです。汗;
1990年頃がピークでしたが、10年位かけて下落を繰り返しほぼ元に戻ったかなというのが実感ですね。 1995年頃は徐々に値頃感も出て、買いたい病はマックスになりました。
新宿や練馬の土地を物色してアパートを建築しようと日々土地を探したものです。この頃に兄の不動産投資が行き詰まり競売に出されることになりました。母親に頼まれて持分放棄した家を、マンション業者に高値で買って貰ったのが事業資金の一部でした。
この物件最初は8500万の最低価格でしたが、落札されずに競売が繰り返されて5回目に何と1500万で落札されました。原因は競売妨害とも思える息子名義の件外物件が建っていたからですが、その失敗を考察するのが今後役立つのではと考えるようになりました。
何故完全に失敗したのか、その要因を考察してみます。
失敗要因の考察
①財務基盤が脆弱で金利が高いノンバンク(住総)からの借入が中心
②同時3物件の開発を推進。何故順次開発しなかったのか不思議でならない。
店舗・事務所・自宅・賃貸併用マンション、国道沿ドライブイン、老人ホーム
③遠隔地でチームが脆弱、心底支えてくれる友人もいなかった模様
④総量規制で融資が続かず
店舗・事務所・自宅は何とか完成させたものの、賃貸マンションは内部未完成。第2期融資を口頭予約していたものの、大蔵省の突然の総量規制で工事ストップ。一部を除き、殆どが未完成物件⇒不運としか言いようがない?
⑤三方良しの考え方の欠如・一発逆転を狙って焦り過ぎ
建売業者として相当儲かった時期もあったが、長期低落傾向となり、何とか這い上がろうとする余り、自己本位の経営姿勢だったと推測。
⑥総合的な経営能力が十分備わっていたかの疑問が拭えない
⑦競売で8500万⇒1500万
再競売を繰返して5回目落札、遠隔地で大変だったが甥っ子に委任された件外物件の賃貸経営で計らずも技量を磨く。落札者に件外物件を売却し、関係者で3等分し分配した。
⑧心臓発作で急遽亡くなるも、何故か最後は機嫌良くしていたのが不思議。
財政的支援をソコソコしたのでいつも感謝はしてくれた。
学習したことを参考に本格的不動産投資を開始
これらの失敗要因を排除しつつ、自分でしっかりと考えて投資していけば何とかなるのではと思い、同業他社の巨大通信会社に再就職した2002年頃から、収益目的での不動産投資を本格的に開始。並行して不動産関連本を読んだり大家塾に通ったりでスキルを磨くと共に、大家仲間との飲み会にも積極的に参加してきました。単に知らないことは致命傷になりかねないと思い、合間を見て不動産関係の資格も取得。
不動産コンサルタント(J-REC公認) 自己コンサル用、他者コンサルは無料
宅地建物取引士 不動産の入門資格
管理業務主任者 管理業務のスペシャリスト→自主管理へ
早稲田大学MBAエセンシャルズコース修了 経営系も少しは勉強。 面白いのでついでに一念奮起し、中小企業診断士を受験したが深追いはせず。
(元々の資格等)
第一種電気通信主任技術者(総務省) 元本業の必須資格
マイクロソフト公認システムコーディネータ(MCSC)
(元)ITコーディネータ(経産省推奨) 資格維持が大変で更新断念
南カリフォルニア大(USC)修士(情報・通信) インターネット開発で著名
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