こんばんは。地主の婿養子です。

 

今日は、

最近思うことを思いつくままに殴り書きすることにします。100%自論にて記すことなので意味不明な文章になります事ご容赦下さい。

また、

個人的にはものすごく不動産投資で成功する為に大切なことのように感じておりますが、人によっては単なる作文になると思いますので、日頃、私のコラムに不動産投資に役に立つ情報のみを求めている読者はどうぞ読み飛ばして下さい。

 

偉人と変人

世の人を大別するに、大衆と偉人に分けられると思料します。

大げさですが、偉人と呼ばれる人間以外は、所謂凡人との意味です。

日本の歴史を振り返り、歴史に名を刻むような人は大方偉人と呼ばれる人が多いでしょう。

さて、偉人は生まれながらに偉人かと言うとそうではなさそうです。

むしろ、

偉人の多くは、幼少期や思春期、時には社会人になっても変人扱いされた人が多いという偏見には賛同してもらえるものとし、

では、

何故に、変人扱いされたのか?

までに思考を進める人はいるでしょうか?

これにはまず、変人を深く知る必要があるように感じます。

 

変人は、読んで字の如く、変った人と解釈します。

では、何と比べ変わっているのか?

凡人やそのあつまりである大衆です。

凡人が、自己を肯定する為に、他社へ変人のレッテルを貼るわけです。

では、皆がレッテルを貼るのかというとそうではないように感じられます。

単純に言えば、

凡人の中に意図的にレッテルを貼る者がいて、大衆は深く考える事もせずにそのレッテルに迎合しているだけです。

 

例えば、

すごい投資家は表に出ないという言葉によればここは基本凡人の集まりだということになりますが、

一年以上コラムニストを続けてきて思うに、この中でも、変人にあたる人が何人かだけ思い浮かびます。

ここで言う変人は普通じゃないということかと。

この場は、不動産投資について情報を発信したり共有したり日々の活動を記録したりするところだと思いますが、コラムニスト、読者に関わらず、他と違う行動をとっている人がいるということです。

それを変人の定義とすり合わせるに、

不動産投資家は変人くらいが丁度良いと自論では思います。

そして、

偉人は変人の中からしか生まれないのではないのかとすら思う次第です。

さらには、

偉人であることは他者が決めますが、変人であることは他者が決めなくとも簡単になれるのではないでしょうか。

 

変人と善人

上では、変人を肯定的にとらえ、変人であるべきではないかという自論を展開しました。

変人の特徴の一つかと推察しますが、

変人は良く、言わないでいいことを言います。

ここでも数名そのような変人がいることでしょう。ある変人はつい最近、言わないでいいことを言っていなくなりましたが。

自論では、

言わないでよいことを言う変人を善人と捉えています。

ここで重要なのが、

言わないでよいことの定義です。

その真意や深意を判別せずに、言わないでよい事を発するのは単なる馬鹿です。変人と混同してはいけません。

実は、

言わないでよいことと判断しているのは、凡人であり大衆です。

 

要は、

変人の定義と言わないでよいことの真意、深意が理解出来ずには、馬の耳に念仏となり、無意味なことと思います。

自己愛強め、承認欲求の塊の凡人も客観的に言わないでよいことを言う時があります。一件、大衆にはそれは同じ言わないでよいことに写ることでしょう。

しかし、見分けるのは意外に簡単だと心得ています。

言わないでいいことが

誰に向けて発せられているか。

換言するに、

誰の為の言葉なのか。

ここを混同すると、

善人の発する諫言と単なる凡人の戯言が見分けがつかないでしょう。

言葉とは相手へ発するものですが、

戯言は一人遊びとの意味です。

 

戯言行き交う、魑魅魍魎な不動産の世界では、戯言と諫言の見分けくらいはつきたいものです。

さすれば、

変人の善人たる諫言が血肉となり、凡人に見えざるものや聞こえざる声が聞こえるようになるのかなと。

 

善人は変人からしか生まれないのかも知れません。

 

善人と偽善

凡人による大衆の善人のレッテル貼りでは、善人の善人たる行為、すなわち変人の善人たる所作を、偽善だと罵ることかと思料します。

人は誰しもが、自分が一番可愛いのだとすれば、

善人の善人たる行為や諫言は、

偽善であるということに、その変人たる善人は、気づいていることだと思います。

しかし、

真の善人は、その偽善をやめる事をしないでしょう。なぜならば、善人が善意の上で、起こす、善行には、己を忘れることでしか成立しえないことを知り、また、善行に対する見返りが存在しえないことも理解しているからでしょう。

つまり

善人の偽善は真の善行となりえる唯一のものなのかも知れません。

では、逆に偽善とは?という疑問が湧きます。

凡人の戯言と同義。

善行の意味も知りもせずに空虚でしかないが、さもありなんと発せられる言葉や行為のことだと理解できます。

ここで発せられる言葉、ここで書かれている言葉、ここ自体にそれは存在し、不動産業界の中に根を生やし、過去も未来も、絶対に無くならないものでしょう。

何故なら

それを取り巻く住人の見ているものが、お金であり欲望であり自己だからか。

筆者は、

もっと真の偽善見えるところに、真の成功があると信じて疑いません。

 

おわりに

このように記すと、いかにも私が変人たる善人で、大衆を馬鹿にし、戯言を宣うのかと思われる読者の顔が浮かびます。

しかし、

戯言は、真の偽善からは生まれないとの自論から、ここに記す言葉は、誰が為でもない、万人の為だと信じ記しています。

結局、

レッテルは大衆の中にしか存在しえず、そのもの自体が空虚であり、虚偽であるのだと。

さて、このコラムを読んだ貴方は何を思うか。

何も感じなければそれも正。

ただ、

何かを感じて頂けたのであれば幸いです。

実はこのコラムで、

365本目になります。デビューしてからの1周年とは違う意味での365日、1年という時間をこの実践コラムを書くことに費やしてきました。

そんな日に、

久々に連載コラムで感じるモノがある記事を読み久々にコメントしました。

そんな日に、

素晴らしい読者のお一人が久々にコメントしていました。

そんな日に、

思い出したくもないつまらない人間のコラムを目にしました。

そんな日に、

まだ、自分を押し殺してこのようなコラムを書くのでした。

 

私は、偉人でも、変人でも、天才でもなく、

むしろ、レッテル貼りの凡人だなぁと思います。

でも、

善人ではありたいです。