吾輩は婿である

吾輩は婿である。

名前はまだない。いや、正確には『まだ実感が完全ではない』と言った方が良いだろうか。

齢27の時に、突然、名が変わった。いや、正確には、名は変わらないが、姓が変わったのだが、それは同じことである。

26年間、当たり前のように過ごしてきたが、自分と自分の名前は死ぬまで一緒ではなかった。

世の男たちのいかに自分勝手なことか。

当たり前のように、嫁をとり。当たり前のように嫁のそれまでの人生を無かったものにする。

大袈裟である?

お主には、一生分からないことである。

そう、

経験しても尚、吾輩にもわからぬものなのに、何故、当たり前のように呑気に生きているお主に分かるものだろうか。

当たり前に生きる事の有難みを知らぬ間には、『私』を失うことのない呑気なお主には一生想像すらできないであろう。

吾輩は、27歳にして、一度『私』を失ったのである。

 

吾輩は、『私』を失ったのか?

果たして、吾輩は現実に『私』を失ったのであろうか?

あの時、吾輩の体はそれまでと変わらずこの世に存在していた。

しかし、心は?

心は現にはなかったように思えてならない。

いや、そんなはずはない。あれからも変わらず生きている。むしろ、あの時より自分の心と向き合った時間などない。

だとすれば、

あの時からも『私』は存在していたはずだ。

にもかかわらず、実感が無いのだ。

 

一生懸命に生きていたはず

婿になり、それまで1日の20時間を捧げてきた会社を辞めた。婿になる挙式で祝辞を挙げた上司は元上司になった。

婿として、勤めた仲介会社でも、変わらず一生懸命に働いた。寝食を忘れて働いた。でも、忘れていたのは『私』のことだったのかも知れない。

人は、この世に生を受け、大人になり、当たり前のように働き、そして死ぬ。

しかし、婿になった時に感じたのは、当たり前のように働くことの必要性だった。

一体、吾輩は何のために働くのか?

何の為に婿になったのか?

分からなくなったのである。

 

不動産は『私』そのものである。

何が『私』なのか分からぬままではあるが、これまで生きてきた過去の私は、一生懸命働くことが嫌いではないことに気づいた。

気が付くと、義父と不動産投資をやっていた。

地主だから不動産とは縁が切れない。と思っていたが違った。

周りを見渡せば、不動産が離れていく光景が目に付く。

成程、

どうやら、吾輩は婿ではあるが地主ではないようである。

吾輩は地主ではないのだ。そう思うと、『私』が少しだけ見えたのである。

地主の家に婿入りしたのに地主ではない?

では吾輩は何なのか?

不動産投資をしていると落ち着くのである。突然、失った『私』の、過去と未来が一つの真剣の如く研ぎ澄まされていくのである。

吾輩は、子供のころから人が好きだった。運動も好きだった。勉強も好きだった。負けず嫌いで怖いもの知らずだった。美術が好きだった。ありとあらゆるものに好奇心旺盛だった。

そんな、吾輩が生きてきた証が、名前とは無縁のところで、確かに、『私』の体中に血肉となっていたようである。

不動産投資をしていると、色んな場面で婿ではない方の『私』の人生が役に立つのである。

吾輩にとって、

不動産投資は『私』そのものである。

 

では、婿でなければ?

吾輩はラッキーであった。

名を失い。『私』すらわからなくなったが、不動産投資が『私』を教えてくれるのである。

生きていく中、

吾輩が婿として吾輩である為には、不動産投資が無ければならないのである。

だから、

生きる事と不動産投資をすることが同じになるのである。

これは決して地主だからではないのである。

吾輩は、婿だからそうなのである。

 

では、婿でなければ?

 

吾輩は馬鹿なので想像出来ない。吾輩は婿になる運命だったとしか思えないのである。

 

それでも、婿でなかった場合を無理やり考えるにお主のことを考える方が容易いのである。

 

お主はどうか?

さも当たり前に生きてきたのであろう。それでは、本気になれないのではなかろうか。

しかし、婿でもないのに、本気の者もいるようである。

吾輩、自分を見失っている時に、人を見る目が備わったようである。

吾輩が見るに、

本気の者は見ているものが違うようである。己を見ている。絶望を見ている。家族を見ている。未来を見ている。

呑気な者は、お金を見ているか、何も見ていない。

逆に、

婿でも本気でない輩もいるようである。どうやら、そやつは地主になりたかったか金持ちになりたかったのであろう。まこと残念である。そやつは一生本気になれないか、全て失ってから本気になるのであろう。人生は限りがある。それでは遅いのである。

 

なぜお主は本気になれないのか?

なぜお主が本気になれないのか?

今の吾輩には簡単なことに思える。

自分自身が見えていないのであろう。

自分の事が好きでかわいくて仕方ないのであろう。

自分の事を否定できないのであろう。

 

吾輩は運がよかっただけかも知れない。婿になることで、半ば強制的に自分を否定され、『私』を見失い、偶然にも不動産投資が吾輩の自己同一性を繋ぎとめてくれた。

 

お主は?

名を捨てるか?

家族を捨てるか?

はたまた、

命を捨てるのか?

否、

捨てなくても本気の者たちがいる。

本気になれば良いだけである。

欲の渦巻く不動産の世界。

皮肉なもので、

結果はお金で表れもするが、

結果は、

お金とは無縁のところに実は存在するのである。

 

だから、吾輩は婿である。そして、名前は過去と今、二つ名前があるのである。

 

お主が本気に変わったら、過去と未来に二人のお主がいるであろう。