最近発売された週刊誌SPA!の投資特集の別冊に、久しぶりに1ページ分のコメントが掲載されました。SPA!や週刊現代から本業(?)であるビジネス領域についてよく取材を受けますが、いつも1時間以上話して採用されるのは一言二言で、ナシの時もよくあります。今回、不動産についてはメールで答えたことがほぼフル採用されているという、なんとも複雑な心境ではあります…。

 

 本コラムを書き始めた頃は意図的に減らしたこともあってほとんど物件は持っていなかったのですが、この数カ月で急速に物件を増やしていまは小ぶりの物件を5棟保有しています。

 急速に物件を増やしたことにやや不安はありますが、そうなったことには明確な理由がありました。スルガ銀行の一件によって競争が少し緩やかになったために、以前は物件を見つけても文字通りあっと言う間に良い物件ほど他の人に買われてしまったのですが、最近は検討したり交渉する時間が取れているようになっていたことでした。

 

楽しむはずの同窓会が…

 

 20代の頃は皆無だった学生時代の同窓会が、30代後半くらいから毎年恒例になったりして頻度が増えてきました。人間、歳を取るとやはり寂しくなって来るのでしょうか。私も行ける限り参加しています。

 50に近くなって来ると、増えてくるのは老後と病気とお金の話です。特に興味深いのは東大の同窓会です。最近の若い世代はベンチャーや外資系で転職してお金を稼いだりする人も多いようですが、一定の世代以上では依然として圧倒的多数が新卒で入った役所や大企業でずっと勤めている人です。私のように転職や独立したり、ましてや他人の会社や投資用不動産を買ったりする人は依然として変人扱いです。

 そんな変人ですが、年齢を重ねるにしたがってお金の話を聞かれるようになり、必然的に「本業は不安定だ」という話と対照的な存在として、不動産の話題をします。今でこそ一棟物件しか検討していませんが、少し前から区分は保有したり売却したりしていました。

 

「でもでも砲」を打つこと自体が気持ち良い?

 

 ところが、聞かれるので不動産投資をどうやっているのかを答えていると、高学歴や誰もが知っている立派な会社に勤めている人ほど、会話の中で「でもでも」が連発してきます。

 「でも、空室出たら」「でも、修繕が」「でも、人口が減るし」「でも、ローンが組めないし・怖いし」「でも、会社にバレたら」「でも、金利が上がったら」「でも、カミさんが」などなどです。

 私としては特に勧めているわけでもなく、聞かれたから答えているだけなのに、「でもでも」攻撃はいつまでも続いてなかなか話を止めさせてくれません。

 

 若い頃に少し海外にいた時に、現地にMBAを取りに来てる日本人の方と話す機会がよくあり、「ではの神」という言葉をよく聞きました。曰く、海外で刺激を受けて日本の会社に戻った時に「アメリカでは~」などを連呼して他の社員をバカにするような言動をして浮いてしまう人のことを揶揄して作られた?言葉だとか。突っ込まれている間はなぜかそれを思い出し、「でもの神かあ」なんて思ってしまっていました。

 

 それほど興味があるということなのかと思いきや、何人もの人と話しましたが、その後に物件を買ったり検討したりしたのはおろか、楽街新聞を読まれたこともなければ、何か別のことを始めたという話も聞かず、皆さんそのまま以前どおりの会社員生活を続けています。あと10年もすれば結構な額の退職金が出て、定年再雇用されて「不動産投資なんかよりよっぽど安全だ。中沢は何やってたんだろうなあ?」と、ほくそ笑まれてしまうのだと思います……。

 

 ただ私としては、自分の希望とはあまり関係なく70歳、75歳まで働けと言われてしまいそうな会社員生活に全てを賭けるよりは、収入の道の一つとして不動産を確保して自分の意志を優先できるようにしておくことが後になって良かったと思えるようにしたいと思っています。今日は暇だったので、管理会社に委託せずに自分で除草剤持って草むしりに行って参ります…。