桜満開の季節にふと物思いにふけってみた

 

東京都内の桜も満開!

 

ここ数年、花粉症に悩まされている私だが、この桜の季節が大好きだ!

満開である一瞬の儚さがまた美しさを際立たせているように思う。

 

1年前のサラリーマンとしての最終出社日も、今日と同じように桜が満開だったことを改めて思い出した。

あっという間の1年だったような気もするが、今までの人生にはない貴重な1年だったと感じる。

今回ふとそんな事を思ったので、この1年を振り返りつつ、私が感じたことや実際に行動したことなど・・思いつくままに書いてみようと思う。

 

サラリーマンからのセミリタイアを目指している人はもちろん、そうでない人も、これからの変革目覚ましい時代を共に歩んでいく中で、私の経験が少しでも皆さんの参考になればこの上なく嬉しい。

 

サラリーマンリタイアの動機

不動産投資を始めて約7年

昨年3月末にサラリーマンとして勤めていた会社を退職してから約1年が経った。

不動産投資を始める前は、サラリーマンとして不動産投資で収入を得るなんて考えたことすらなかった私だった。

この不動産投資業界にはサラリーマンでありながら不動産収入を得て、

「その後、今まで歩んできたサラリーマン人生に終止符を打ち、新しいことにチャレンジする」

そんな人達がたくさんいることを知りワクワクしたことを思い出す。

そして今まで、私自身も実際にそんな人たちをたくさん見てきた。

 

さてさて、

 「サラリーマンアーリーリタイア」

 「サラリーマン早期リタイア」

 「サラリーマンセミリタイア」

こんな言葉があるということは、やはりサラリーマン生活は生涯続くことが前提になっていて、またそのことをポジティブに捉えていない人が少なからずいる、いや沢山いることを意味していると私は思う。

もちろん、自分の仕事にやりがいを持ってパワフルに行動しているサラリーマンも沢山いるであろうし、何より私自身もある一定の年齢まではそうだったように思う。

 

ただ、その原因を深堀りしてみると、日本の仕事に対する価値観が

 「一つの仕事を続ける」

ことが前提になっていたことが原因の一つであるように思う。

 

一つの会社に勤めて頑張れば、報酬も役職も年功序列で将来がある程度約束されていて、しかも終身雇用

物質的な豊かさを求めて生活をするためには、汗水たらして会社のために頑張ることが美徳であると。

今までの時代はそんな価値観だった。

少なくとも私が社会人になった20年前もそんな時代だった。

 

20年以上サラリーマンを続けて私自身が感じたこと。

一つの会社では役割が変わったり、異動により仕事内容が変わるケースもあるが、最初に就いた職業を何十年もやり続けるなんてどう考えても “飽きてしまう”

どちらかと言うと、同じ仕事をずっと続けている方が不自然なのでは。

ということだ。

この違和感を少なからず感じながらも、でもあまり深く考えずに何年も仕事を続けてきたようにも思う。

 

今でこそ転職は当たり前の世の中になったが、ひと昔前までは転職するにもどこか後ろめたいような、裏切り者のような感覚が少なからずあっただろう。

(今もあるかもしれないが・・)

 

また、現在の転職においても正確には転職ではなく”転社”

要するに同じ職業で会社を変えるケースがほとんどであり、“やりたいこと” というよりは、”自分にできることや今までのスキルをベース” に、処遇、待遇や人間関係のより良い会社を求めて移るというケースだ。

 

要するに“やりたいことではなく、

生活するためのお金”というものが仕事をする上での考え方の中心になっているのだと思う。

 

私自身にも妻や小学生の子供がいて、多分に漏れず将来に対する漠然とした不安はあったし、一番は “生活するためのお金” という価値観で仕事をしてきたように思う。

ただ、今のままの延長で仕事を続けることに飽きてしまったというか、

どうしても違うことをやってみたかった。

このまま定年を迎えてしまっては絶対に後悔する。

そんな気持ちが大きくなったのも事実なのだ。

 

人生も半ば、40歳を超えると、いつまでも続くと感じていたそれまでの人生が有限であることを実感するとはよく言われるが、本当にそんな感覚だ。

自分の周りにも、少数ではあるが残念ながら亡くなってしまう人もでてくるし、

自分が社会に出た時に40代くらいだった会社の先輩は、もう60歳を超えて定年だ・・。

同じだけの時間が経ったら自分も定年かと思うと、何か急に寂しい気持ちになり、また人生の終わりというものを意識させられ、愕然とした気持ちが沸いてきたのだ。

 

そんな今の状況を変えたいという思いと、

自分以外にも不動産投資で収入を作りサラリーマンリタイアを果たした人が世の中にはいる。

だから「自分にも出来る」

という想いが重なり、今までは単にワクワクだけでやっていた不動産投資を更に加速させることとなり、今の状況に辿り着いたのだと感じる。

 

私自身、南の島でゴロゴロして過ごすことに憧れたわけではなく、

これからの人生を「ワクワク」しながら新しいことにチャレンジして過ごしたいと思いサラリーマン生活に終止符を打った。

 

不動産投資により、サラリーマンを辞めてもしばらくの間は家族が生活でき、自分自身が新たな人生を模索チャレンジできる状況を作ることを、まずは優先させたのだ。

 

退職してからの1年間で感じたこと

1年前のサラリーマンを退職したタイミングで、退職してからのことは正直何も決めていなかった。

猿でさえ「次の枝を掴んでから今の枝を離す」ことを考えると、珍しいケースなのかもしれない・・(笑)

当面、家族が生活していくための収入は不動産から確保できているので、走りながら考えることにしたのだ。

 

決まっていたことと言えば

 グアムで開催予定のフルマラソンに出場すること

 石垣島でトライアスロンの大会に出場すること

この2つが決まっていたくらい・・。

兎に角、まずは自分の好きなことに時間を使ってみることにしたのだ。

 

春先には自分と同じ不動産投資家仲間と平日の昼間からお花見を楽しんだり、

夏には子供たちと一緒に毎日海やプール、そしてキャンプで夏休みを満喫して、真っ黒になるまで遊び倒した。

 

ただ、思いっきり自由に過ごすことで「充実感」や「満足感」を感じる一方、

 毎日を自由に過ごしていて良いのだろうか。

 働いて稼がなくて良いのだろうか。

 平日の昼間にブラブラしていて良いのだろうか。

そんな感情が沸いてきたのだ。

 

世間体や周りの目、そんなの気にする必要はない!

と頭では思っていても、何故かそんなことを気にしている自分に気付く。

 

また、すべての時間を自分で設計できることへの戸惑いも同時に感じていた。

サラリーマンだった今までは月曜日~金曜日までは、何をする以前にまずは会社に出社しないといけないというベースが決められていた。

当たり前だが、退職してからはそれが全く無いのだ。

 

例えるならば

「サラリーマンとは、塗り絵のように枠線がひかれていて、あらかじめ塗る場所が決められてるイメージ

しかも制限時間も決められている。

もちろん、どんな色で塗るかは自由でり、時間配分も自由。

スキルが上がれば難しい塗り絵にチャレンジすることも可能だ。

そういった意味では個人の裁量については、経験と共に広がっていくかもしれないが、それでもやっぱり会社から決められているのだ。

 

サラリーマンを辞めた今、

目の前にあるキャンパスは真っ白なのだ。

何も描かなくても良いし、

もっと言うと破り捨ててしまっても誰も文句を言わない。

”自由”であるが故の難しさというか、本質というか、慣れない感覚に戸惑いを感じたのだった。

 

<つづく>