自殺物件について

 前回は「孤独死」だったけど「自殺」物件は絶対嫌だよね、が大半だと思う。裁判所も自然死や病死と違って「心理的瑕疵」は確立されているようだ。

私もそうだ。そうなんですけど。

 家でAが自殺を図ったが、すぐに家人が発見して119番、病院で死亡死んだのが病院だからセーフ(告知義務無し)とはならないと思う。110番と119番のどちらを先にすべきか?と茶化す気はない。

 そもそも自殺は「精神的な病気」として保険上は考え処理するようだ。もっともこの知識を利用する人が増えて今では1年から3年に免責期間が伸びているそうだが、、

 家族などに借金を残さないためとはいえ「保険金詐欺する悪い奴や」と考えるか「そのために数年も待ち続けての自殺を考えることが病的」など色々考えてしまうが、日本的とも言いきれず 先進国?ではよくあるようで重い気持ちになる。

 大島てるサイト上では事故物件の掲載数の多さに驚くが、日本の自殺者は34万人いる(数年減少傾向にあり、今年はコロナで逆に少ないというが)

だからむしろ「大島てる」に掲載されないことが圧倒的だと思う。私の人生で知る自殺はどれも事故物件となっていない。自殺物件が掲載されることはまれなのだ。

 それで良いと思う。近い人たちは隠そうとする。周りの人はコソコソと情報を知りたがるし嘘が広まることもある。決して面白がっているでなく亡くなった方の辛かったであろう思いを出来るだけ知りたいし、防ぐために自分にできることが無かったのかと思い悩むのが普通だ。それぞれの心の中で時間とともに薄まり、消えていく。それでよい。時には原因が分からず、抗議の自殺などの場合は、強く長く心にとどまってしまうかもしれないが、、

でも亡くなった人を恨むことはめったにない。まして「穢れた存在」に周りから思われるのは身内には耐えられないと思う。

徹底的に暴き晒すことが市民の義務?

 大島てるは違う。知っていたらどんどん情報理提供してほしいと。むしろ国が積極的に事故物件を公開すべきだ。しないから自分がしているのだと

 自殺の事実だけで無く 細かい方法やその時に偶然起こったとんでもない情報が面白半分で記載されているものもある。死者にはプライバシー人権は無いのか?そんなに晒されるなら、「自殺をやめよう」と抑止力が働く訳ではないだろうし。

大島氏はそれぞれの宗教観や死生感の自由を否定したりしていないが「デジタルタトゥー」の問題は残る。「死者」も「残された者」も永久に好奇の目にさらされることになる。

 ある一軒家で「自殺」が起こり、家主は家を解体して土地を分筆して売り出した例 (A土地をa,bに分けbを売り出すこと) を「事故物件隠し」のようにコメントしている。だからサイトからも建物が無くなっても消さない。建物がなくなって土地にまで禁忌が残るとなれば、災害の多い日本では事故物件でない土地は無いくらいではないか?

 最近は「事故物件の見分け方」として「一部屋だけリフォームしている場合は疑ってかかれ」とまで煽っている。一部屋だけのリフォームありまくりだ。「特にお風呂のリフォームは危ない」笑えるというより怒りを感じる。痕跡がなくてもリフォームする大家の辛さも思う。騙すためではない。(「告知しなくて良い」と私は言っていない。)

 大島てるは「事故物件は次の事故物件を引き起こす」と考える傾向があり、そんな例を「事故物件の聖地」としてピックアップし盛んに発表しているのだ。お前だけはそれをやってはいかんだろうと思うのはわたしだけだろうか?(前回のコメで「大島てるの稲川淳二化」の表現をした人がいた。)

私の脱線話に付き合って

加齢臭」はわたしの記憶ではちょっと前までなかった。(この時間感覚がオッサンであるが)この言葉をあるメーカーが使うようになってオッサンは「加齢臭」を発するようになり、オヤジは「オヤジ臭」を発するようになった。

コロナが収束しても異常な潔癖性は加速されるだろう。新築後1年でキッチンをリフォームした知人がいた。「だってゴキブリが出たんですもの、、」ラオスであった人は「どうしてラオス🇱🇦に?」「シンガポールにはゴキブリもいない。そんな国には俺は住めない。」ギャグだと思うがそれが一番の理由かい!(ちなみにゴキブリはいます。私はゴキブリの動きで国名を当てることができる特技がある。)

 違う例。わたしは「不動産と部落問題」についてかいたことがあるが、今 裁判でも争われていること。あるグループが「昔の被差別部落」の位置がわかる書籍やネットのサイトで誰でも容易に見れるようにしたい。表現の自由だ差別する意図は無い。仮にそれを見て差別する人がいるならその人の問題だ。運動団体がそれを差別と言うなら「寝た子を起こすな」を否定し、解放運動してきた人たちの大きな自己矛盾じゃないか?と言うものだ。

やはり上手く表現できなくて、ここまで読んでいる人はまれだと思う。

日本の文化にしたくない。

前回の「孤独死」を事故物件とするは日本独特のものだと言われる。アメリカでは「自立死」と言うそうだ。「孤独死」と言う言葉を生み出す社会のほうを考え直す必要の方があるようだ

スエーデンでは「孤独死」は起こらない。病院で死を迎えることは尊厳に反すると考える。家での介護支援は手厚い。「老老介護に疲れて殺人」の国とは違う。例えば「胃瘻」は虐待と考える(だからコロナの死者が多かった。老人がコロナで死んでも仕方ない?反論の嵐になりそうなのに。)

自殺者の場合は普通の死と全く別のものと考える異常さはやはり日本独特とも思うのだが、

そして多くの国(先進国でさえ)では事故物件だからと不動産の価格が日本のように下がることは無いと言われる。お化けの出るお屋敷は高く売れるというジョークまである。死者に怯えまくる私たちの不動産選びはちょっと行き過ぎ。死者とうまく対話できない(前回のインドネシア、トラジャ写真でおもったこと。)のは「生きている今をエンジョイ」できないことにつながっていなければよいのだが、

まとめ・・・

大島てるのサイトは「孤独死」や「自殺」はほんの一部しか掲載されていない。

それなのにその一部は何の事実確認もされずに、死者の人権を全く無視される表現で晒され、デジタルタトゥー化されて消されることはない。

このサイトは不動産の安全取引よりも娯楽的感覚で閲覧されていることの方が多い。

それなのにその情報で「不動産取引の指標のひとつ」とされ、普通の人も 死=瑕疵=悪とする特定の価値観が強化され、歪んだ形で日本の文化になっていないか?

「自殺率」が高く、「世界幸福度ランキング」がとんでもなく低い日本。それは「大島てる」のせいではないけれど

それに「事故物件」を専門に扱う不動産業者もいて、気にしない外国人(気にしていられないが近いだろうが)に需要があるのだから世の中バランスが取れているのだろうが、、

このコラムを書きキッカケ

 2週間前、敷金、礼金無し、家賃半額物件に住んでいる若者にあった。「えっ」と思って聞いたら、自殺物件だと言う。「大島てる」には載ってませんけど とさらっと言った。僕は 霊感があるけど この部屋は内見の時どうもなかったので。でも前の物件は事故物件でないのに霊が出て困って引っ越しを決めた。なんか分からんけど す、すごい。

「事故物件とされていないけど、幽霊が出る物件は 事故物件ですか?」の質問に「いいえ、違います。」と大島てるはサイト内では言った。

「幽霊が出る物件」のみ サイトに載せてくれませんか? 大島さん!