今日は歩いて西武百貨店に行ってきました。 昔は全部百貨店で、画廊や映画館もありました。今は画廊もなく、専門店の集合状態になっています。時代の流れでしょうか。

 

 バブル時以前の話です。兄は建売り業者としてソコソコ成功していました。土地を仕入れてそこに建物を建て、建売住宅として販売し利益を得ます。利益は1割とか1割半ですのでちゃんと回転していれば、扱う額が大きいのでそれは儲かります。 高度成長期の名残があり、物件がどんどんと上がった時代です。しかし、バブルに遭遇し流行りの所謂不動産投資にのめり込み、状況は急変します。当時私は大家業を細々と始めたばかりですが、兄の投資状況を垣間見るに、少し違うんではないかと思い始めていました。

兄の投資スタイル

 当時、住総というノンバンクがありました。金利はかなり高かったと思います。そこから取敢えず2億位借りました。 私も持ち分を持っていた大阪の物件を持ち分放棄により、それを売却したお金を頭金にして、鳥取に進出することになり、そこで同時に3物件を進めることになりました。投資の急拡大です。なにやら現地の不動産屋さんにチヤホヤされて色々と接待されたようで私にも(一緒に儲けないかと)誘いがきた位です。 具体的には、

①鳥取駅6分の100坪の土地に200坪の自宅兼店舗兼賃貸物件

②国道9号線沿いのドライブイン

③郊外の山の上の老人ホーム(いまでいうサ高住みたいなもの)の建設

と、地元でも少し話題になる位に派手だったようです。

 時計は定番のローレックスで、どうやこれええやろです。 欲しかったら買うたるでです。鳥取に行くなり複数物件を手当たり次第に買ったことになります。

大川護郎さんとの共通性

 兄の赤色の部分を見て下さい。かなりの部分の共通性が読み取れます。ミニミニ大川鳥取版といってもオカシクありません。兄の場合は大蔵省の融資総量規制に端を発する、壮大なバブル崩壊に巻き込まれた側面はありますが、パターンはほぼ同じです。兄は老人ホームで社会貢献するともよく言っていました。大川さんのゼロ円賃貸とかぶります。

 大川護郎さんに関する1年半前の尊敬する友人大家さんとの会話。この人は大阪で自主管理で超有名なメガ大家さんです。ある日の電話のやりとりです。

友人 森田さん、最近大川さんって方出てきたけど、講演聞いたことある? 内容はどんなん? 教えて。

 先週、某賃貸業者さん主催の講演会で聞きました。野口悠紀雄先生(経済学者、暗号通貨でも有名)とのセットでした。講演は資料もなく、延々と自慢話が続きましたが、賃貸業で役に立ちそうな内容は皆無でした。

友人 俺、彼の大阪支部長みたいなもん頼まれてんやけど、どう思う?

あの人、借りているところは金利のめちゃ高いところばかりで心配や。

いずれ破綻するんとちゃうん?

 ゼロ円賃貸って訳わかりません。広告費で家賃を賄うなんてありえません。派手好きな人はいずれ転んだりしますから、辞めておいた方が得策です。賃貸業に有益な話がひとつもなかったのが不思議でなりません。それに手当たり次第に買うって狂気の沙汰ですよ。

友人 そうやな。近づかんほうがええな。ほなまた。

兄の反面教師としての教訓

   兄の失敗した要素を分析し、反面教師として纏めたのが昨日のコラムです。

 不動産投資は失敗しないことが一番という内容です。失敗しないための注意事項を纏めたら昨日のコラムになりました。何よりもバックグラウンドとして一番大切だと思うのが、地味な生活態度だと思っています。大川護郎さんはド派手中のド派手です。そういう連中とつるめる為にド派手を心掛けたということですが、随分と勘違いされたのではと思います。まあ、これは一言で言って、価値観の相違かもしれませんが、お金持ちになれば成る程、所謂貧乏ごっこをするものです。 高級車は所有していても車庫に隠しておいて、普段は軽トラで近所を走り回る感覚が、生き延びるための生活の知恵では無いのかなと勝手に思う今日この頃です。分家の私んちは資産3千万とかでしたが、本家は駅前2町歩を所有する資産100億とかのかなりの地主です。売った土地には結婚式場、セレモニーセンター、専門学校が建っています。 本家を見ている限り、こんな感じであったのも微妙に影響しているかも知れません。 大川さん的には、「取敢えず有名人になって俺は満足や、お前らには真似できんやろ」かも知れず、今回の騒動は彼が仕組んだものという説もあったりで、真相は不明ですね。

兄の失敗の結末

 兄の投資は、大蔵省の総量規制により、200坪の建物の賃貸部分の内装完成の為の二期工事の融資がストップになりました。なので、DIYで一部完成させたものの、殆どが賃貸不能のままで、間も無くローンの支払いが滞り、結果競売となりました。自宅・店舗部分は件外物件で当面住み続けることができましたが、一連の経緯のなか、ストレスのためか狭心症で急死しました。競売が5回位続き、この間この件外物件の賃貸を任されて大家力が少し付いたかなと思っています。 一時に多くの物件を手掛けていなければ、もしかすると乗り切れたかも知れません。

 結局、資金の裏付けのないイケイケドンドンは危険そのものという教訓が残りましたね。一家離散も同時に進み、母親も兄の死から3日目に稀に見られる大脳梗塞で植物状態となり、半年後に死亡しました。更に悪いことに兄嫁と次兄は連帯保証人になっており、田んぼや自宅を担保提供していました。私自身は資金提供し、一族総力戦に大敗戦したことになります。文章で書けば簡単ですが、次兄の場合は担保提供を頼んだ母親に包丁を突き付ける場面もあった位です。母親は後日あの時はもう観念したと言っていました。 連帯保証は本当に怖いです。

 こんな状態でも甥っ子は、頑張って今や小学校の教頭となりホッとしています。

今日も個人的なつたない話を読んで頂いて、誠に有難うございます。

^^)