昨日銀座にオークション落札物を取りにいった際の内幸町交差点。六本木物件は左下のビルに再就職が決まる前後に取得したものです。歩いてでも行ける距離なのでセカンドハウスの色彩がありました。三番町物件は竹橋ビルに勤務していた頃に歩いて行ける物件として取得しました。 写真右は某都銀本社ビル。鳥取物件の融資で相談しましたが却下。
兄の不動産投資大失敗や競売にかかった時の対応についてコラムで書いてきました。 この深刻な状況をつぶさに見てきた嫁は、私自身の不動産投資についてもかなり懐疑的でした。2000年迄の細々不動産投資の時代は一件の投資額も1500万円以下で、大目に見ていてくれていました。節税対応でもあったので基本は反対ながら目をつぶるといったところです。但し、代々木のマンションの2戸目を無断で買った時は、逆鱗に触れ、即売却したりもしました。一室目は深夜帰宅用のセカンドハウスという位置づけで許しがでていた感じです。
2001年に会社を定年扱いで辞めたのを機に、投資拡大期を迎えて一棟ものに突き進もうとした時は、嫁の反対は極度に達しました。それまで、800万円の日本画や200万円の備前焼を買うのは特に文句はなかったのですが、最低3千万や4千万はする一棟アパートは融資が必要で、要は借金をするなということでした。兄の借金のお陰で一族の物件が競売にかかって大変な思いをしたのに、あなたは何を考えているの!でした。
これは無理もない感情だというのは理解していました。なので、最低限連帯保証だけはさせない積りでいました。会社を辞めて、一年半位離職者訓練で早稲田のMBA速習コースを修了したりし、技術系に足りないものを補いつつ、拡大を窺っていました。 同業他社への再就職が決まって年収が40%程度に激減し、投資熱は極限に高まります。兄の失敗を見つつも、反面教師でどのようにすれば失敗しないかというもやっとした自信もありました。浪人時代に六本木物件を2室買う際は、夫婦のすれ違いは極度に達しました。
困り果てて取った行動
夫婦の意見がすれ違って、これを調整するにはどうすればいいかを考え続けましたが名案がありません。アレコレと調べると、家庭裁判所の調停という手があると気付きました。 その頃、娘の連帯保証をいきなり求めた某都銀を相手どり、簡裁の調停に持ち込み有利な和解を得たのもあります。そこの頭取は最近亡くなり感無量でした。
夫婦のすれ違いを家庭裁判所に持ち込み、自分の正当性を判断して貰う積りが、逆に嫁の正当性が95%認められる結果となり意気消沈です。内容に拘わらず、夫婦の一方が反対することを強行しようとすること自体がアウトというもので、調停員に手厳しく言われましたね。不動産投資のことはさておき、嫁の反対することをしてはいけないということでした。確かにそうだな、うんうんと頷くしかありません。
嫁の取った行動とその後
この件で、頭を冷やせとばかりに青森の実家に帰ることになりました。私的には、意見が合わないままで投資を強行出来ずにいる状態から、一種開放されたような気になって、毎年一棟を増やしていくことになります。勿論連帯保証は得られませんので、某都銀や〇民銀行から保証会社の保証付きで借りました。金利は0.2%上がりますが大勢に影響はなく、順調に拡大できました。家賃収入が1500万円を超えた頃に、法人を設立し、連帯保証の縛りは無くなり、更に順調に拡大することとが出来ました。
実家から帰ってくるきっかけとその後
実家に帰って約10年を経て、売り上げは5千万を超えるようになり金銭的余裕も出てきた頃、同居の娘に子供が出来ました。病棟薬剤師で働いており、産休明けから直ぐに復帰したこともあって、孫の面倒見で、嫁に帰って来てくれるように頼み込みました。不動産投資とは別の孫のことで頼まれたので複雑な心境ながら、結局帰ってきてくれることとなり今日現在に至っています。
最近では不動産投資もそんなに悪くはないように思っている節があり、2度目以降の物件調査には同行したりもしています。女性としての視点もあり助かっていますが、買うことに対して反対は基本的になくなりました。
昨日も5千万の融資内定が出たよと言っても、あっ、そう位の反応です。近場で1700万の戸建て風の小さなアパートが出ましたが、妙に気に入って現金で買うとまでいう始末です。
今日も個人的な話を最後まで読んで頂き、誠に有難うございます。失敗シリーズはこれでお仕舞にします。 ^^)
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