楽待の皆様こんにちは。ぱぁ大家です。

 窓の雨漏りの一件(前回コラム参照)が終わってほっとしたのもつかの間でした。

 一昨日、うちのテナントビルの事務所から出てきた時、ふと見上げると

 

 階段裏が剥げとる(゚Д゚;) 

 なんでやねん!

 しかも階段裏の上の方を見ると…

 

 あちゃー。サビが出ている。いつ直そうかしら。

 今でしょ。と林先生が言いそうです。(やや古いネタ)臭いものにフタをしてはいけません。

 梅雨が明けたら見積出してもらわなくちゃ。お金がどれくらい飛ぶのかしら。

 

 ぱぁホームに1回塗装のことを問いただしたところ

 「こういう仕様なので…」と言われて終了しました。

 同情するなら(塗装工事の)金をクレ! ←誰も同情していない(哀)

 向こうも裁判起こされても面倒でしょうね。とりあえず逃げておくしかないでしょう。

 どうせお金出してくれないのですから、たっぷりネタにさせていただきます(*^-^*)

 

 さて、ギャラドスと税理士の先生に消えていただいたその後の続きです。

 余命宣告された母が3か月の入院を経て、なんと復活しました。

 奇跡です✨

 運が良かったのは救急車で運ばれた病院に、偶然に「神の手」を持つ医師がいたのです。

 かなり難しい手術をしてもらいました。午前中に手術が始まり終わったのは夜中でした。

 詳しく書くといろいろあるので、どの部位の癌かは書けないのですが、とにかく生存率が著しく低い癌でした。癌細胞が浸潤していた他の臓器もきれいに手術してもらいました。10年以上経ちますが再発していません。長いこと薬剤師をやっていて数多くの患者様に出会ってきましたが、この病気では手術を受けられること自体もかなりのレアケースです。母の弟も40代で同じ病気で亡くなっています。

 神様ありがとう。神様っているんだぁ+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚:.。+゚

 本当に心の底からこう思いました。

 

 母が退院後しばらくしてから、今年度の決算どうしようか…ということになりました。

 以前、母は某信託銀行にお金を預けていました。母はちゃらんぽらんしているところがあるのですが、父の酒癖(だけじゃない)の悪さを心配して、将来何かあった時のためにこっそり小さなアパートを建てていたのです。その時、信託銀行でローンを組んでいました。

 アパートは母が退院後すぐに売却しました。

「いつどうなるかわからないから、持っていても仕方ない…」というのが当時の母の気持ちでした。

 以前、信託銀行の担当の方から紹介された会計事務所が弊社近くのビルにあることを思い出し、お願いしてみたところ快く引き受けてくださいました。

 

 後日、担当の税理士の先生に弊社の事務所に来ていただいて書類の処理について確認をしました。

 書庫には過去の決算書や伝票をまとめたものなど大量に詰まっています。

「そうねぇ…7年以上前のものなら大丈夫ですよ」

 ということで、私はシュレッダーをレンタルして10日以上かけて書類をシュレッダーにかけまくったのでした。書類のほとんどが昭和から平成初期のものです。

 

 領収書の中に女性の個人名のもので数十万円単位のものが何枚かありました。

 全部で合計すると数百万円くらいになります。

「まさか…キャバクラ?!」

 しかも私が大学生くらいの時のものです。

 当時、私は薬科大学のなかでも授業料が安い大学に通っていました。妹も国立大学です。

「これだけお金があったら、私、医学部行けたかも…」

 そして、父の机の引き出しをあけたところ1枚の写真が出てきました。

 キャバクラのお姉さん(見た目アラフィフくらい)を抱っこした父の写真です。なぜか私にはとても幸せそうに見えました。家庭や仕事がすべてってわけじゃないんだね。父の別の姿です。見てはいけないものを見てしまいました。

「お母さんに言うのやめとこ…」

 私は領収書と写真をシュレッダーにかけました。

 

 いらない書類をシュレッダーにかけて数か月後…。

 事務所の片隅に大きな引き出しのついたファイリングキャビネットがあったのです。それを処分しようとした時のことです。

 引き出しを開けて忘れ物の有無を確認した時、書類をシュレッダーにかけた時には気が付かなかった金物の箱がありました。ファイリングキャビネットと同じ色なのでわからなかったのです。

 私は取り出して、箱の中を開けました。

「…(;゚Д゚)」

 20冊以上の年金手帳が出てきたのです。

「噓でしょ!!」

 私は速攻で年金事務所に行って職員の方に平謝りしました。

 「もう10年以上経っているので亡くなった方もいるかもしれませんが、連絡がつく方には郵送します」とおっしゃってくださいました。

 私は怒りがこみ上げてきました。その日の夜にギャラドスの自宅に電話をかけて怒鳴りました。

「年金手帳が20冊以上出てきたじゃない。人としてやっちゃいけないことでしょ!」

「だって昔は個人情報とかうるさくなかったもん。電話切るわよ」ガチャッ!!

 一方的に電話を切られた私の怒りも頂点に達しましたよ。

このバ〇ァ! 

 叔父や他の方々が言っていたことが更によくわかりました。

 

 ギャラドスが今生きていれば80代半ばを過ぎているはずです。どうしているのでしょうか。

 最後に見たのはテナントビルの近所のクリニックでした。その時のギャラドスはチロリアンテープの襟がついたブラウスを着て、少し気が抜けたような感じでした。

 ギャラドスのいる団地からクリニックまではだいぶ離れていて、電車やバスを乗り継いで1時間ほどかかります。父や通いなれた街が忘れられなかったのでしょう。

 それからほどなくして、クリニックが先生のご都合で一時期お休みしたこともあって、ギャラドスは私のいる街には来なくなったようです。

 もう会うこともないでしょう。っていうか会いたくもないわ。

  見てはいけないものを見てしまうことって、人生の中で何度かありますよね。今回はそんな話です。大家業とあまり関係が無かったですが、最後までお読みいただきありがとうございました。

 次回はもうちょっと大家らしいことを書く予定です。