今となってはどうすべきだったのかはわからない。

現在は某県で生活保護を受給しながら生活している元地主のお婆さん(以下、彼女といいます)の話です。

 

(以下注:詳細をあまり具体的に書くと特定されるおそれがあるため一部数字を丸くしたり、一部デフォルメした表現にしています。また、字数制限の都合上、表現を変えて記述している部分があります。ご了承ください。)

 

【1棟目の話】

時は平成6年(1994年)。

彼女は自己所有の遊休地に地元の建設会社の提案で新築の重量鉄骨造、4階建てワンルーム24戸のアパートを建てました。

建物部分は融資期間35年、金利4.7%で地元の第一地銀から融資を受けました。融資総額は2億3千万円でした。

個人で建てると税金がかかるからと有限会社を設立し、法人で融資を受けました。

新築のワンルームは竣工後すぐにすべて埋まり、通帳に毎月の賃料が振り込まれるようになりました。

彼女は通帳には銀行への返済を差し引いても毎月お金が残るので不動産賃貸とは非常によいものだと思いました。

 

[1棟目スペック]

総戸数    24戸

間取り    1R(全て25㎡)

建物取得価額 2億3千万円

(土地は自己所有)

構造     重量鉄骨造

 

1部屋あたり家賃  68,000円

満室時年間家賃収入 19,584,000円

 

融資条件   35年元利均等返済

金利     4.7%

年間返済金額 13,405,812円

 

 

【3年目の2棟目の話】

そして3年後の平成9年(1997年)。

彼女は今度は自宅を取り壊し、元自宅だった土地に同じ建設会社の提案でさらに2棟目の新築アパートを建てました。

物件スペックは重量鉄骨造の5階建てで1階が駐車場、2~4階がワンルーム18戸、5階がオーナーズルーム4LDKです。

5階が自宅なのでこちらはエレベーターを設置しました。

建物部分は1棟目と同様に融資期間35年、金利4.7%で地元の第一地銀から法人で融資を受けました。融資総額は2億円でした。

オーナーズルームは彼女自身が使用するのでこだわって作られていました。

オーナーズルームについては、エレベーターの5階を降りるとそこには中庭があり、その先に玄関があるという凝った仕様になっていました。

 

[2棟目スペック]

総戸数    19戸

間取り    1R(全て30㎡)×18戸、4LDK×1戸

建物取得価額 2億円

(土地は自己所有)

構造     重量鉄骨造

 

1部屋あたり家賃  75,000円

満室時年間家賃収入 16,200,000円

 

融資条件   35年元利均等返済

金利     4.7%

年間返済金額 11,657,232円

 

 

【4年目~10数年目までの話】

2棟の新築を建ててから数年は賃料が銀行返済額を上回っており、毎月通帳にお金が残るので彼女は儲かっていると思っていました。

金利が4.7%であることも特に気にはならず、金利が高いとも思っていないので銀行との金利交渉はしませんでした。

そもそも融資条件をよく知りませんでした。

 

彼女はそれほど浪費家ではなかったようですが、会社の通帳にある現金は使ってよいものと思っていたようです。

また、将来の大規模修繕も考えていなかったようです。

 

やがて近隣の新築ワンルームの供給が増え、相対的に彼女の持物件の築年数が経過したということもあり、当初の家賃設定では入居が決まらなくなりました。

管理会社は家賃を下げないと決まらないということを何度も言ったようですが、彼女は聞き入れず、空室期間が増えるようになりました。

 

退去後の原状回復コスト等についても彼女は

「直すお金をなぜ私が払わないといけないのか」

というアントニオ猪木御大もびっくりの昭和ストロングスタイルな考えだったため、退去後の修繕をしないままの空室が増えていき、管理会社も客付けをしにくくなっていきました。

その後も管理会社は何度も提案をしましたが、彼女は手元のお金が減る提案を嫌がったのでめんどくさいオーナーだと思われてしまい、やがて客付けの優先度が下がっていきました。

 

新築後10数年が経過すると2棟目は健闘していたようですが、1棟目は空室が増えていきました。その後は内覧があっても決まりにくくなり、当て物になっていきました。

 

さらに、銀行返済が滞ってきた彼女は管理会社に対して怒り、管理会社を変えてしまいました。

 

変更後の管理会社も当初は何部屋か客付けをしましたが、入居時の条件交渉もできず、文句の多い彼女に愛想をつかし、管理を辞めてしまいました。

 

 

【15年目~19年目の話】

1棟目は築後15年ほどを経過すると、入居数は4戸のみとなりました。

入居している4戸は階段に近い部屋でしたが、階段から遠い部屋は人の出入りがないためクモの巣が張り、清掃もないため出入りのない部分の共用部は薄黒くなっていきました。

 

彼女はお金がないので何も払わなかったのですが、

自治体からは固定資産税の督促、銀行からは返済の督促があるようになりました。

彼女は特に何もしませんでした。

というよりもどうすることもできなかったのかもしれません。

(彼女はそのうち何度も来る督促状に慣れっこになっていました。)

 

そもそも管理されていないこともあり、その後に入居者の変動もなく、さらに4年の月日が経ちました。

 

 

【20年後の話】

19年目に自治体及び銀行から差押の通知が送られてきました。

銀行からは担保不動産競売開始決定の通知も送られてきました。

 

結局、2物件とも競売申立後の経過期間中に成立した任意売却で売却することとなりました。この売却時が1棟目の新築後ちょうど20年目でした。

銀行残債等を売却代金及び彼女の他の財産で返済するかたちで決着し、彼女の残債はすべてなくなりました。

そして、彼女の財産はすべてなくなりました。

 

前述のとおり、彼女はそれほど派手な生活をする人ではなかったのですが、それでも地元でアパートを所有する地主で他にも財産があるということは近隣では周知の事実であり、金持ちだと思われていてそれ相応の振る舞いをしていたので、比較的近隣の住民には知られた存在でした。

競売申立からその後数ヶ月において、彼女は生活の立て直しをしようとしたようですが就職をしたことがないので生活能力がなく、既に高齢で彼女ができる仕事も少なかったため仕事が見つかりませんでした。

親戚筋にも合わせる顔がなくなり、地元にはいられなくなりました。

彼女は全く地縁のない某県にて生活保護を受給し、生活する道を選びました。

 

彼女は密かに地元を去りました。

 

さらに数年が経過した現在、彼女のことを覚えている人も少なくなりました。

 

以上が彼女の現在までの顛末です。

 

 

【まとめ】

この話から得られる教訓は、

賃貸経営(特に新築)は悪くなるとしてもすぐに悪くなるわけではなく、静かに、ゆっくりと悪くなっていく

ということでしょうか。

 

2点ほど補足しますと、

①2棟目は最上階に自宅があることもあり、定期清掃を入れて共用部を綺麗にしていたため、比較的入居率は良かったのですが、1棟目は管理状態が良くはなかったため入居率は低迷し続けました。

 1棟目の場所は2棟目から100mほどの距離しか離れていないにもかかわらずほとんど見に行ったこともなかったそうです。

 

②任売後、2棟目のオーナーズルームは地元の中小企業の社長の息子が当エリアでは破格の金額で一時借りていましたが、退去されるとなかなか決まらず、かなり金額を下げて決まりました。

 オーバースペックなオーナーズルームのある物件であったため、任売時にもそれほど高い評価はつきませんでした。

 

 

さて、今となってはどうしようもありませんが、彼女はどうすべきだったのでしょうか。

 

突っ込みどころはたくさんあるかと思いますし、

突っ込みどころが多すぎてよく分からないかもしれませんが、

 

私はこの事例を見ていて、

「20年後にどうなってるのかは分からない。

少なくとも今ちゃんとやるべき事はしっかりやろう!」

と思いました。

 

ちなみに彼女の新築2棟を建てた建設会社はもう存在しません。

10年以上前に消滅していました。

 

以上、20年後にどうなっているのかなんて誰にも分からないし、もしかしたらみんな消えているかもしれないという諸行無常な話でした。