週に一度の一人BBQ。今週はチーズフォンデュ。
第1回目のコラムにも書きましたが、私は一応3年前にリタイヤしたのですが、未だにセミリタイヤというものがどういうものか分かっておらず、どうしていいのかも分かりません。
今回はそんなグダグダな毎日を送る人の話です。
日本人であればほとんどの場合、小学校、中学校、高校で教育を受けると思いますが、義務教育とは私は、
①規律のある集団生活をする
②理不尽さがあっても耐える
訓練をする場だと思っています。
語弊を承知でいいますと、義務教育というものは、実際に社会に出てもそれほど役に立たず、意味のわからない知識を多く詰め込むものだと思っています。
しかし、イヤイヤながらも勉強させることで何かをし続ける忍耐力を形成し、不満をグッと飲み込んで周りと協調してやっていけるような人物像を形成することがその目的のような気がします。
端的に言うと、
「日本の屋台骨たるサラリーマンを形成する」
ために義務教育はある気がします。
私はそういった画一化された教育を何の疑問も抱かず受けていたせいか、いざ仕事を辞めてみると
何もすることがない日があるという状況に、どうしたらいいのか分からなくなりました。
【リタイヤ後の話】
実際、リタイヤすると自由度は増しますが、同時に何をしてもよい時間が多くなります。
読書以外にこれといった趣味がなく、特にこれといった願望もない私はリタイヤ後に自由な時間を持て余すことについて不安を感じるようになりました。
当初は不安を感じてしまい、何かをしなければいけないという義務感にとらわれることがありました。
私について言えばこれは義務教育が影響していると思っています。
しかし、慣れとは怖いもので、時間があるということがやがて普通の感覚のようになってきました。
ここでようやく
「今日何もすることがないということは、今日何をするかを決められる自由があるということだ」
という気に少しはなれるようになりました。
【人生のスパイスの話】
ところで、ではそもそも不安を抱えないまま生きることはできるのでしょうか?
「ストレス」という概念を提唱した、カナダの生理学者 ハンス・セリエ氏は
『ストレスは「人生のスパイス」と呼ぶことができる』と述べています。
松下幸之助氏も
『人間はしょせん悩みからのがれることはできません。のみならず、むしろ悩むことが正しいのであって、悩まないことは誤りであり、罪であるということにまでなるのであります』
と言及しています。
私はゲームが好きでずっと家でゲームをしている生活が最高だと思っていました。数ヶ月前は1ヶ月で200時間以上オープンワールド系のゲームをしていました。ですが、あれほど楽しかったはずのゲームをする時間がそうではなくなってしまい、飽きてしまいました。
私は家に引きこもってゲームをして暮らすことに憧れがあったのですが、いざやってみると飽きてしまうことがやってみてやっとわかりました。
振り返ってみると、学校や仕事から帰宅後、限られた夜の短い時間にするドラクエやFFはなぜ面白かったかというと、学校や仕事というストレスがあったからかもしれないと思いました。
すなわち、学校や仕事は人生のスパイスなのかもしれないということです。
私は訳あって仕事をやめてしまいましたが、義務教育や大学までに自分のやりたいことを見つけ、それを仕事とした人は幸せだと思います。
同様に社会人になって仕事が好きになり、天職だと思っている人も尊敬しています。
しかし、
米ギャラップ社が世界各国で実施した「社員の仕事への熱意度調査」(2017年)によると、日本は
①熱意あふれる社員の割合は「6%」
②周囲に不満をまき散らす人の割合は「24%」
③やる気のない社員の割合は「70%」
という調査結果があります。
この調査では日本は139カ国中132位という結果でした。
この調査結果に日本の義務教育が関係しているかどうかはわかりませんが、私は関係している気がします。
そして、義務感によってやらされていると感じている社員が多く、当初はやる気のある人であっても周りがそれを引きずり下ろして横並びにしようとするような職場であれば、リタイア願望が芽生えても不思議ではないと思います。
例えばリタイヤする目的がそういった環境から脱し、よりポジティブに生きるということであれば、リタイヤすることはいいことだと思います。しかし、この場合、前述の人生のスパイスの話になります。
【まとめ】
セミリタイアが仕事をしなくともよい状態になることであれば、達成すれば特にすべき仕事はなくなってしまいます。
その時に、何かそれに変わるスパイスとして、
①なにか継続的にすべきことがある
②何らかのタスク(課題)を伴うものがある
方がいいのではないだろうかというのが今の私の結論です。
それ自体はなんでもいいのでしょうが、その人にとって人生の残りの時間やり続けられるものであるという仮定を置いたならばそれは限られてくるのではないかと思います。
また、達成条件が簡単すぎる場合もすぐに飽きてしまうかもしれないので、そこそこ達成条件のハードルがあり、断続的に達成感があるものの方がいいのではないかと思います。
残念ながら私はそういったものを探している状態です。
特にこれといって見つからないのでひたすら毎日勉強するというグダグダな日々を送っています。
私は、もしセミリタイヤを目指すのでしたら、何か打ち込めるものがないのであればそれを探しておいた方がいいのではないだろうかと思っています。
なぜなら、セミリタイヤはゴールではなくスタートだからです。
(追伸)
ご縁があり、書かせていただきましたコラムですが、このコラムを第1回目のコラムの結びとし、今回のコラムをもって一応の区切りとさせていただきたいと思います。(婿さんとの約束を一応果たしたと私が思っており、先日婿さんからその承諾をいただいたことや、私のモットーは「地味に続ける・目立つことを避ける」で、目立つのが苦手なんです・・・。)
私の拙いコラムを読んでいただいた方々、コメントをいただいた方々には感謝しています。貴重な体験でした。ひとまずはお礼を申し上げます。ありがとうございました。
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