北国の大家です。
いつもコラムをお読み頂き、ありがとうございます。
札幌近郊の日本海側の港です。
好きな人は真冬でも釣りをするようですね!
撮影がアレですが、結構大勢いました(汗)
脱サラ後の1棟目購入が2020年2月なので、今月から専業大家3年目に突入しました!感慨深いものがあります。
昨日「投資遍歴や戦略は? 実践大家コラムニスト5人がデビュー」で紹介頂きました。
当時の私達と同じように、期待と不安が交錯する初心者の方に、勇気と情報を届けられればと思い、今月もコラムを執筆致します!
今月は先月の続きで、脱サラ直後の「1棟目購入まで」の私達の心理・行動などをお伝え致します!
消費税還付などのスキームや税務などの調査は終了しました。満を持して物件探しに全力投球!という所まで来ました。
今回は、その前に当時の心理状況について振り返ります。
1.屈折した心理状態だった
1棟目購入までは順風満帆ではありません。
心理的に後悔にも似た(屈折した)物がありました。
その一つが「セカンドキャリア制度」を逃したことです。
脱サラ前の会社では、50歳以上の社員は転職活動のため1年間給料を貰って職探しをする(労働なし、出社不要)といった、オジサンの肩叩き制度がありました(汗)。
実際にこれを上手に使い、専業大家になった先輩もいましたが、私が退職したのは、この制度の資格を獲得する前年の49歳です(汗)!
浪費家の私にとって、1年間の給与は非常に大きな金額で魅力的でした。
退職前にあと1年間在職して、50歳で辞める方が絶対に良いのでは!?
49歳で退職するのは、バカなんじゃないか!?
と真剣に何度も悩みました。しかし私は49歳で脱サラします(汗)。
理由は「起業時にまで会社に依存するのは辞めよう」と思いました。
ここで「退職時にまで」「脱サラ時にまで」と言っていない事に注意!前向きな気持ちがありました。
会社からは、今まで十分に色々な物を与えて頂きました。本当に感謝しています。
しかし後ろ髪引かれる気持ちもあり・・・、決めました!
「セカンドキャリア制度」を使わずに、1年早く脱サラして、そのメリットを絶対に出す!と決意しました。
今考えると、スケールが小さい話かもしれませんが、当時の一番大きい課題でもありました。
2.無理やり前向きに考えた
一方で、私は制度を使って労働せずに給料を貰うと、のんびりゆっくりと問題を先送りにするだろうと考えました。浪費家でしたし・・・。
ならば、逆をやるだけです。全力・最速で、焦らず・急いで、事に当たることにしました!
これが自分の中の退路を断つという意味でした。
ここから有言実行で、妻を巻き込み、母親にも相談して、親戚にも相談(公言)する。
親戚からは、私は(地元では)割と良い会社に勤めていたので、定年まで勤め上げる方が絶対に良い。出来もしない事をやろうとして退職した変わった人(残念な人)だと思われていました。
妻はしばらく実家と音信不通にして、私に心配を掛けまいとしてくれました。
その重責を背負い、不動産投資をスタートしました。
これが、相談室などで私が
「当時は、追い込まれていた」
と言っていた背景であり事情です。
3.結果は!?
だからこそ、ブルーオーシャンの営業トークにも惹かれ掛けました。
この時は、銀行マンなどの周囲の協力で回避できました。
結果は、セカンドキャリア制度で逃したお金は、
3棟の消費税還付で取り戻しました!
消費税還付は退職した翌年の10月で終了したので、翌年に脱サラしていたら、消費税還付は受けられませんでした。
偶然の産物ですが、私は成し遂げたことの一つとして捉えました!
妻の協力を得て、妻の法人を設立することで、私自身の失業給付も100万円以上の全額を受け取りました。
この辺で、周囲が正しいという事より、協力者がいれば、自分の判断に頼るのも悪くないなと思い始めました。
この時、地盤・看板・カバンのない私は、何があっても関係者全員を「協力者」と思う事に決めました!今でもそう思っています。
4.名言コーナー
「しがみつくことで強くなれると考える人がいます。しかしときには、手放すことで強くなれるのです」
ヘルマン・ヘッセ(ドイツ生まれ、スイスの作家)
※私は正社員という立場を手放すことで、少し強くなった気がします。その強さの源は、「挑戦する勇気」と「感謝の心(真心)」だと思うのです。
―以上です―
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