前回、財テクという錬金術が、無限の富を生み出すようすをご覧いただいた。

 こんなこと、いつまでも続くわけがない。
 でも私たちがそう思う理由は「すでに結末を知っているから」だろう。

 当時、財テクをやらない経営者はバカ呼ばわりされた。
 それくらい当たり前のことだったし、多くの企業にとって、財テクはノーリスクと認識されていた。

図1:平成バブル年表DX_v1.3

◆ ブラックマンデー

 87年10月、世界中の株価がとつぜん大暴落。ダウ平均は、たった1日で23%も下落した。

 ブラックマンデーと呼ばれるこの大暴落の原因については、西ドイツの利上げや、トレードプログラムの暴走など、諸説ある。

 次のグラフをごらんいただきたい。

図1:平成元年 年次経済報告(経済企画庁)より引用

 

 なぜか日本だけ下落幅が小さい。それどころか、数ヶ月後にはあっさり高値を更新している。

 プラザ合意のあと、日本経済は円高不況に陥ったが、日銀の緩和継続や産業の効率化、さらに財テクによる本業不振の穴埋めなどもあって、景気は持ち直しつつあった。

 日本におけるブラックマンデーの影響が相対的に小さかったのは、「実体経済が本当に強かった」からなのだろう。

 とはいえ、特金やファントラの運用成績は以前より悪化した。より安全な大口定期預金に切り替える動きも目立つようになった。

※ 参考コラム
#55 みんな、100ドル分の外国製品を買おう
#56 ちょうどいい湯加減のドル円レートを目指して

◆ 運用弾力化通達

 比較的傷が浅かったとはいえ、決算シーズンをひかえた時期。ここで含み損が顕在化すると、さらなる株価下落を引き起こすおそれがある。

 大蔵省は、特金・ファントラの損切りを抑止するべく「運用弾力化方針」を打ち出した。これは財テクの損失計上ルールを都合良く変更する、後付けの実にチートくさい内容であった。
 裏を返すと「なんとしても株価を支えたいので、どんどん財テクやってください」と、国家がお墨付きを与えたに等しい。

 実際に、通達の直後から株価は再上昇し、ブラックマンデー前の高値を更新していった。

 その後ウォーターフロントブームなどもあいまって、特金・ファントラの利用総額は、87年時点で30兆円、89年末の時点で43兆円にまで膨らんでいった。

※ 参考コラム
#62 熱に浮かされた日本のようす:女性インフレ編

 

~よこみちコラム:バブルの女帝~

 バブル絶頂期の大阪ミナミに、不思議な力を持つ女がいた。彼女はカエルの石像に祈りを捧げ、神がかりとなり「お告げ」を授かる。
 この「行」といわれる儀式で、彼女はなんと個別銘柄の株価の上げ下げを予言した。「上がるぞよ~」「まだ早いぞよ~」

 名を尾上縫(おのうえ・ぬい)という、本業は料亭の女将だ。

 「お告げ」は高確率で的中したので、多くの証券マンや銀行マンが彼女に取り入ろうとした。尾上自身も株を売買し、不動産にも投資した。

 89年末には、尾上の金融資産は総額6000億円以上にのぼった。しかしその後バブルは崩壊し、資産は大きく目減り。債務超過におちいった。

 尾上の負債額は、ピーク時にはなんと1兆円(!?)を超えていたとも言われ、1日分の金利が1億7000万円(!!)だったそうだ。笑う。

 並外れた借金耐性をほこる不動産投資家のみなさんでも、これはさすがにシビれる金額じゃないだろうか。

 その後、尾上は預金証書を偽造するなどして、銀行から違法に金をひっぱり、詐欺罪で逮捕・有罪となった。これに深く関わった信用金庫は破綻し、多くの銀行マンが逮捕される大事件に発展した。

 破産した尾上の最終的な負債総額は4300億円。これは個人としては、現在でも史上最高額である。

 驚くべきことに、彼女は株や投資のことについては、まったく無知であった。「公定歩合」という言葉すら、知らなかった。

 尾上は出所してのち、2014年ごろに亡くなったという。

◆ 角谷通達

 ブラックマンデーをものともせず、どんどんふくらむ財テクマネー。月に1000円ずつ上がる日経平均。

 そして89年11月、ひとつの転機がおとずれる。
 大手証券会社による損失補填がついに発覚したのだ。

 この処分の途上で、さらに重大な事実が露呈する。

 実は、違法な利回り保証・損失補填を約束した「にぎり」は、大手証券会社のほとんどすべての営業特金で行われていた。さらに損失を隠す「飛ばし」行為も蔓延していた。

 この事態を重く見た大蔵省証券局は、証券会社に営業適正化を通達する。当時の局長の名をとって「角谷通達」と呼ばれる。

 角谷通達によって、営業特金は事実上禁止された。既存の契約もふくめて、翌3月までにすべて整理するはこびとなった。

 さて、その年の最後の取引日である89年12月26日、日経平均は38,915円の歴史的ド天井をマークした。

 そして翌年の正月早々から、おそるべきスピードで下落しはじめたのだった。

◆ まとめ

 株価下落のきっかけは、アメリカの投資銀行ソロモン・ブラザーズによる「日本売りファンド」と「裁定取引」だと言われている。当時としては相当テクニカルな売り攻撃で、日本の証券マンたちはなにが起こっているか分からなかったという。

 たしかにトリガーを引きはしたが、ピストルを組み立て、弾をこめ、ターゲットに狙いを定めたのは彼らではない。

 すでに準備は万端だった。
 遅かれ早かれ、きっと同じことが起こっていた。

 特金・ファントラ、利回り保証、それに転換社債による資金調達はすべて、上昇し続ける株価を前提としたものだった。
 大きく膨らんでも、中身が空洞なので、前提が崩れればあっさりとはじけてしまう。バブル(泡)とはよく言ったものだと思う。

 とまあバブルの総括的な話は、気が済むまで語り尽くした後にまとめたいと思う。
 大蔵省オイオイとかひっかかることはあるだろうが、それも後日あらためて。たぶん、まだけっこうかかります。

 

 さて、次回はいよいよ、不動産バブルの崩壊過程をみていきたい。
 土地神話の終焉である。