~このコラムはサラリーマン兼業大家が58歳で退職後、専業大家として法人化8期目も半ばを過ぎた、私の今を綴ったコラムです。~

 

 こんにちは、kazu21599です。
 10年前、店舗閉鎖で退職した58歳のとき、翌月12月に高熱と身体のだるさで何日か解熱剤と痛み止め処方で様子を見たが改善せず、JA病院で検査すると急性胆嚢炎ということで、すぐに手術、

 そして1週間の入院、お正月を病院で過ごし、年始の日の出を病院の5階で1人青みがかった景色が次第に赤みを帯びていき、澄みきった空が明るく高く、真っ青に染まっていく夜明けを見ていた。

 退院後、退職前の具合の悪さはすっかりなくなり、少しゆっくりして再就職先も探そうとハローワークへ行ってみた。サラリーマン兼業時代に取得した3棟アパートの家賃収入も1500万くらいあったが、返済もアパートの経費もあるので、実質手取りは900万くらい、それが全部使えるわけではないし(国保税も国民年金掛金もいるし、いざと言う時の余裕資金の貯蓄も必要)

⇒それ以上に何もせず家賃収入だけにぶら下がっているのも何だか気が引けるからだった。

 

 

その1.ハローワークで仕事は見つかったのか

 退院後すぐハローワークより、連絡があり、商工会の事務局長の募集があるが、受けてみませんかということだった。手術後の身体の具合が完全回復していなく、半分今すぐ採用されても気持ちがついていくかなとも思ったが、過去に勤務していたこともあり、内容も良く知っていて、断る理由もなく面接を受けた。

 面接には私が働いていた頃青年部で一緒に活動した面々が理事として審査をしていて懐かしかったが採用されることなく、市役所を退職された方が採用となった。(実際にはその方が適任だと私も思う)

 不採用になって良かったと思った。過去に自分都合で退職した経緯もあり、採用されたら生半可な気持ちではやれないという覚悟も必要だったので、ある意味ホッとした部分もあった。

 その後は紹介されることもなく、ハローワークで仕事を探していると、資格のある仕事は当然対象外だし、福祉関係の仕事も多くあったが資格が必要だったし、また58歳という年齢で対象となる仕事と言うと、限られていた。
 コンビニ、警備会社、ホテルの深夜勤務、清掃などが主な仕事で

⇒資格なし58歳の高齢男子の仕事はそれほどなく、次第にハローワークからも足が遠ざかっていった。

 

 この頃から、毎日近くの里山を(山道を早歩きで走りながら散歩したり、ドライブして、滝や渓谷・海・温泉巡りしたりして時間を使っていた⇒時間経過とともにに働くことの強迫観念みたいな気持ちも次第に薄れ、無理に再就職しなくてもこのままでもいいかもと思えるようになってきた。そうやって退職後1年、2年と過ぎていくことになる。

 

 

その2.株式投資でもやってみようか

 その間アベノミクスの株上昇で、このまま株投資・デイトレで含み益も現実益もでて、就職はしなくてもいいかなと思っていたら2013年5月の暴落で損切できず、そのまま持ち続け61歳の5月だったか、今度は初めての空売りで反転後損切できず、ついにストップ高で泣く泣く投げる。

⇒そのとき自分に損切りをする才能がなく最後まで持切ってしまう性格であることを再確認する。結局2000万くらいあった含み益がマイナスとなり、それをきっかけに株のデイトレをやめることになる。

 

 

その3.エ〇ブルセミナーで本格的大家業を目指す決心をする

 2015年8月エ〇ブルセミナーに参加し、家賃1500万のリタイヤ大家さんで残りの人生をだらだらと過ごすのではなく、不動産管理法人を立上げ、規模拡大をしようと決意し、

⇒法人で1棟、個人で1棟、宅建士を取るという3つの目標を立て、10月には法人を立上げ、所有する1棟を建物のみ法人に売却し(その家賃収入を、法人の運営費と私の給与にし、健保厚生年金に加入する)

※まず太陽光を屋根に載せ(年収70万増)、道路沿いの蔵(一部改装して住居として使っていて解体費が補助金の対象になった)を80%補助金で解体し、跡地駐車場3台分にした、年間14万の収入増とした。

 

 その後アパートを探し買付も何度か出し、買い負けや、売主取下げでなかなか購入できず、2017年(H.29年)ついに1棟、2018年(H.30年)1棟、宅建士も取得し、2019年(R.1年)4月には満室となり、第1期目標達成する。

 第1期の目標達成となったので、R.1年に第2期目標として、法人にて2棟購入、各種資格を取ることを目標にする。

※R.3年末RC2棟購入し、R.4年附属してきた築50年全空木造物件を再生中、R.5年3月空室5室(別途再生物件残り4室)、資格取得は不動産賃貸経営管理士・FP2級・第2種電気工事士とほぼ第2期目標を達成しつつある。

 

 

その4.法人化8年後に思う事

 結果的に不動産投資(不動産賃貸業)をやっていて良かったなというのが本音である。他人にはおススメはしないが(責任は持てない)、本気で取り組み、本気で勉強し、自身のスキルを磨くことで、得られるものは多いと思う。

 

※例えば退職後、再就職していれば、

①経済的に…週6日、1日5時間働いて時給1000円で月間120時間、12万税金払って手取り10万年間120万の収入、1年目も8年目も変わらずだと思う。時間は毎日シフトで働く必要がある。

●法人化して、初年度に太陽光収入70万+駐車場収入14万⇒手取りとして計算はできないが、CFとして計算すれば(借入返済除いて)手残り年間35万
2年目は手残り35万、翌年1棟購入後は(この1棟はダクト漏水を連続2回起こしたのですぐに屋根の上張り工事をしたため平均的に残ったCFは20万くらいだった)手取り年間35万+20万(今は多分年60万くらいのCFになっている)
3年目は利回り26.8%の物件購入できて⇒満室経営できたので多分手残りCFは200万くらいになったと思う⇒手残り年間35万+20万+200万
※この時点で再就職収入を逆転する、家賃収入は1500万⇒2420万となる。

第2期の2棟購入+再生4室(うち空き5室の現時点で)家賃収入は1500万⇒2420万⇒3500万となる、58歳再就職では稼げない金額の手残りとなる35万+60万+200万+310万⇒605万
再就職年間120万の約5倍の手残りCFとなる。(もちろん私一人の収入ではなく、法人で雇用した子供達や、共有分散した子供たちの分も含めての全合計になる)⇒家族内だけど2人の雇用を産み出している。

 

②時間的に…週6日、1日5時間働いて時給1000円で月間120時間、⇒まとまった休みを取って旅行に行くことも難しい、何かの病気の時は収入は途絶える。決まった時間に決まった仕事をする。

●専業大家になってコロナ前は10日、2週間、24日と遠隔地へDIY旅行、自由にスケジュールを組んで、DIYの合間に稚内・宗谷岬周遊、陸前高田⇒八戸⇒恐山⇒函館⇒松前⇒長万部・ニセコ周遊、
苫小牧⇒日高⇒新冠⇒襟裳岬⇒豊似湖周遊、自由に自分の決めたスケジュールで行動できる。

③仕事の内容は…週6日、1日5時間働いて時給1000円で月間120時間、⇒ほとんど決まった定型的な仕事、仕事の報酬は時間労働の対価

●専業大家になって、物件購入も、帳簿作成も、DIYリフォームも、登記DIYも、管理会社、業者さんとの打ち合わせも、仕事の幅は広く、自分のペースで仕事を作ることができる。仕事を作ることで得られる報酬は基本的に全て自分の自由に使い道を決められる。

※但し贅沢はできないし、キラキラはできない、貯蓄も仕事になる

 

④家族も一緒に働ける…週6日、1日5時間働いて時給1000円で月間120時間⇒雇用であれば家族と一緒に働くことは希である。

●法人化して拡大することで、大学をドロップアウトした息子達の働く場所を作ることができた。これが一番良かったと思うことだ。2人ともニートになりかかって自信もなくなっていた彼らを雇用し、一緒に各種資格の取得、再生アパートのDIY、記帳、確定申告、などを任せられるようになってきた⇒将来自分で生きていく術と自信を身につけつつある。
※これは本当に不動産投資(賃貸業)をやっていて良かった、やっていたからこそ雇用できたと思う。

⑤結果的に、37歳で1棟目、43歳で2棟目、51歳で3棟目、ゆっくりした安全ペースだけど確実に(30歳の頃思考した)3棟1500万を達成し、58歳退職後、61歳の本格的大家業参入の基礎になる

①不動産賃貸業30年の実績
②数年後には完済になる担保枠の利用

③商工会時代の融資評価の経験
これらのことが、61歳からの本格的賃貸業への基礎になり、法人化8年目で家賃収入1500万⇒3500万まで拡大できたことに繋がっていると思う。

 

不動産投資(賃貸業)だから61歳からでも拡大できたと思うし、再就職では得られなかった経済的自由と、時間的自由と、不動心(不動産ではないよ)を得られたと思います。
今後、生涯現役の道を選ぶこともできれば、自分リタイヤもできるようになります。

人生は1度きり、不動産やってて良かったな。

 

それでは、コラム読者の皆様に感謝を
私を手伝ってくれる子供たちに感謝を
楽待さんに感謝を