皆さんこんにちは 

コラム連載を開始して2回目の新年を迎えました。投稿ペースがとっても遅い中、皆さまのイイネやコメントに支えられてなんとか継続しております。

 

新年明けて能登半島地震が発生し、続いて航空機事故も起こり今年は大変な始まりとなってしまいました。

そして一寸先は何もわからないという現実を改めて実感しました。

お正月だったこともあり運悪く帰省中に被災された話も報道されてます。いくら自宅が耐震性が良くても、訪問先次第で運命が左右されてしまいます。

 

 

年始に広島の親戚宅へ新年ご挨拶に行った際のこと。推定築50年以上、焼き板瓦葺の大屋根、開口部が大きく広縁もある昔ながらの昭和な家です。

壁も柱も少なく、大地震が起きたら開口部めがけて前のめりに倒壊しそうな予感がします。よそ様の家にケチをつけるのは大変失礼なのは承知の上、恐る恐る

 

「筋交いが少なそうな気もしますから、一度耐震審査をされてもいいんじゃないですか?」

 

とやんわりお伝えしたところ

 

「まぁ大丈夫じゃろー!」

 

と一蹴されました。確かに、ご本人はそれで良くても当方としては帰省中に心がザワザワしてしまいます。子供も安心して預けれないというか・・・

お会いする度にお土産やら過分なお小遣いなどをガンガンに頂き、大変感謝はしておりますが、それより先に耐震補強調査をして欲しいなと。。

 

「周りもしてないしうちに限っては大丈夫」という強固な田舎の同調性バイアスという壁の存在。大地震の直後でもこの状況でしたら、今後もご理解いただくことは難しいでしょう。

かくなる上は、これまで頂いた過分なお小遣いを使わせていただき、耐震補強調査をこちら主導で実行することを検討している今日この頃です。

 

 

さて、新しい年を迎え、新たなことにチャレンジしたいと思っている方も多いと思います。また、就職や転職、独立を控えている方々もいらっしゃるはずです。

 

そんな節目の新年ということもあり、今回は住宅営業マン20代の頃、心に刺さった新聞のとある記事をご紹介したいと思います。

 

東京世田谷にあった2つのとある池、そこで育った鴨の夫婦のお話です。

(記事を保存してたわけではないため、記憶の範囲です。予めご了承下さい)

 

 

「世田谷の鴨」

 

昔、東京世田谷に2つのとある池がありました。そこにそれぞれ鴨の夫婦が住んでました。

 

1つ目の池は公園に隣接した池

2つ目の池は少し錆びれた場所にひっそりとある池

 

公園に隣接した池の鴨は恵まれてました。公園に遊びにくる家族や子供たちが鴨に餌を与え、鴨たちはすくすくと育ってました。

2つ目の池の鴨たちはひと気も少なく、必死に餌を自分たちで探すしかない環境です。餌が少ないせいか公園横の池の鴨たちよりやせ細ってました。

 

そんなある日、1つ目の公園に事件が起きました。都市開発の影響により、公園が廃園となり、池だけ残されることとなったのです。困ったのは残された鴨たちです。これまで待っていれば餌が貰えていた環境から自分たちで餌を探さないといけないという真逆の環境に投げ出されました。

 

1年後の冬、粉雪の舞う寒いある日のこと・・・

 

1つ目の池に向かうとやせ細った鴨の夫婦が、以前からあった池の中央にある浮石でお互いを励まし合うように身を寄せ合ってました。

 

2つ目の池に向かいました。

 

あのやせ細っていた鴨の夫婦もいました。

夫婦は気持ちよくスイスイと泳いでおります。

 

そして、なんとそのお尻に連なって、たくさんの子鴨たちが元気よくついて行ってました。

鴨の夫婦も子育ての使命感か、当時より幾分ふくよかになって、たくましくも見えます。

 

筆者は対照的な境遇を迎えたそれぞれの鴨の夫婦の人生を振り返り、こうつぶやきました。

 

「他者に与えられる人生のなんと脆いことか・・」

 

 

以上です

 

親は永遠ではない。

いつもフォローしてくれる優しい上司や先輩は異動する。

親身にいつも相談に乗ってくれる親友も、結婚や就職で遠くに行くかもしれない。

 

 

不動産投資の世界に置き換えてみても同じです。

自己完結できるよう成長が必要です。

いつまでも与えられる人生だと、一つ目の池の鴨になるでしょう。

 

それでは、新年最初のコラムから眠たくなるような話ですみません。

本年もどうか宜しくお願い致します。

 

 

最後になりましたが、

被災された皆様の生活が1日も早く平穏な日常に戻ることを、心より願っております。