わたしは子供のころ感想文って凄く嫌いだったんですよね。
何書いて良いか分からないし。
「この本には○○と書いてあり、その通りだと思いました」
みたいな典型的な無能感想文を書いていました笑
決められた通り計算すれば良いだけの算数とかのほうが好きでした。
でも、ある時気付いたんですよね。たしか上手いとされている感想文を読んで「ああ、そういうことか」って思った記憶があります。
いや気づいたっていうほど大げさなものじゃなくて、今思うと既に一般的になっているテクニックかも知れませんが、極端な話、元の本とかどうでも良いんですよね。
元の本の前提→結論の流れを自分の経験とか他から得て知識に当てはめて膨らませてみる、とか、前提を変えたらどう結論が変わるか考えてみる、とか、そんな感じで自分で適当に書いてみたら良いんですよね。
なぜか意味不明な前置きを書き始めたんですけど、わたしは結構他の人が書いたことにかぶせて書くことが多いので、めちゃくちゃ反論したがっている人、みたいに思われることを恐れています笑
いや、そういうんじゃなくて、まったり感想文書いている感じなんで。
まあ、それはいいや。
本題に入ります。
北国の大家さんの「石丸構文と不動産投資!(CF不要!のコラボコラム)」を読みました。
面白かったので皆さん読んでください(わたしの読んでる段階で読んでる人多そうだけど笑)
「(投資家が)資産効率や拡大を求めるのは資産が十分にないから(地主は効率は要らないからCFが欲しい)」、っていうのがメインの主張かなって思いました。
一理あるなぁ~とは思うのですが、わたしの意見は少し違うのですよね。
投資家が効率を求めて土地に目一杯に容積率を使い切った建物を建てたがるのは、効率や拡大(に向けた利益の確保)を考えているからでしょう。
また、地主が土地の容積率を使い切らない傾向にあるもの、これ以上の利益(効率)をあまり求めていないっていうのがあるでしょう。
でも、この法則で全て割り切れるかなって考えるとそうでもない様な気がするんですよね。
例えば、都心に土地を持っている地主がいるとして、この地主が土地の上に建物を建てて相続税対策をするとしましょう。その際にこの地主は、容積率を目一杯使い切らないでしょうか。
もちろん物事には例外がありますが、大半の地主は最大限の建物を建てるんじゃないでしょうか?
そうでなければ、この土地を守っていくことは難しいでしょう。
逆にド田舎に広大な土地をめちゃくちゃ安い値段で購入した投資家がいるとするじゃないですか。
その投資家が新築アパートを建てる場合、たぶん、土地を限界まで活用したアパートを建てないですよね。そんなデカい建物を建てても需要が付いてこないので経営がきつすぎる。
この辺を考えると、資産に効率性を求めるのは何故かってことに関して、別の要素も働くのかなぁって気がしてきます。
すなわち、その資産の(複数世代にわたる)維持コストと活用可能性が、その資産に対する効率性を求める尺度になるっていうのが、わたしが思った結論です。
ただ北国の大家さんの見解を否定しているのとは違うと思っていて、ある人が持つ資産量によって(地主か貧乏人かって観点)は、維持コストと活用可能性を評価するのにあたり結論を変える可能性があります。
地主から見たらそこまで頑張って活用しなくてもいい土地でも、貧乏人から見たらめちゃくちゃ利用したくなる、みたいなイメージ。
だから、まあ、微妙に線を引くラインが異なっている、くらいな感じなんですけどね。
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